店主敬白
20日(木)−24日(月)、更新をお休みします。
25日(火)にまとめて記事をアップする予定です。
Sun,31 July 2005

チャールズとダイアナ、そして地雷撲滅

24年前の29日はチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式だったのね。当時わくわくしながらTV中継を見ていたことを思い出す。ダイアナの長いウエディングベールが赤いじゅうたんの上にずっとのびてた光景、「貴女はこの男性を夫とし...誓いますか」という誓いの言葉に、ダイアナが小さい声で'I will'と答えた声が印象的だったこと、バルコニーに出てキスした時、やたらダイアナの首が伸びてたこと。まさかその十数年後、自分がダイアナの葬式をロンドンで見ることになるとは想像もしていなかった。この二人、結婚生活が続いていたら、来年銀婚式だったのね。
今ではチャールズ皇太子は長年の最愛の人だったカミラと結婚できて幸せな日々のよう。カミラを悪く言う人はいまだ多いけど、いいではないですか、当人同士も家族も幸せそうなんだから。

ダイアナの死に関してはいまだに陰謀説がいっぱい。一説には36,000件もあるとか。一番最初に陰謀説が現れたのは、8月31日の死亡から数時間たったばかりのオーストラリアのインターネット上だったらしい。陰謀説も、MI6が英国王室を守るために実行した、というものから、世界中の花屋が花を大量に売るために行った、というものまで様々。一番人気のあるものは、ダイアナは実は亡くなっておらず、自動車事故はダイアナと恋人のドディ・アル-ファイドが自分たちの死を偽装するため綿密に練った計画で、ダイアナとドディの二人は二人だけで静かに余生を送っている、というもの。

陰謀説はともかくとして、ダイアナの功績の一つは、地雷撲滅のための活動(そういえばこの話がらみでも陰謀説があったな。地雷製造会社がダイアナの活動を面白く思っておらず暗殺したって話)。7年前の今日31日、ダイアナの一周忌を前に、英国政府は地雷の使用を全面禁止することを発表している。

[参考]いずれもBBC News site On this dayより
1981:Charles and Diana marry
1998:UK imposes total ban on landmines


個人的には39年前の昨日、英国でのサッカーのW杯でイングランドが優勝したことの方がずっと惹かれたんだけど、このネタは来年にとっておこうっと。丁度W杯だし、ドイツだし。
posted by M at 23:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | news
Sat,30 July 2005

The Marriage of Figaro (Live from MET)

The Barbicanでオペラ「フィガロの結婚」を鑑賞。といっても生舞台ではなく、1999年のニュー・ヨークのメトロポリタンオペラでの公演のフィルム。案内にタダとあったけど、「ほ、本当にタダなんですか」と予約時に尋ねると、「ええ、タダよ」と予約担当のお姉さん。こちらが貧乏留学生だとわかったのか、「stallの真ん中、正面の席をとっておきましたからね」、「ご親切にありがとう」。
...舞台上の大スクリーンを前から3列目で見るのは辛かった。

このblogにはやたらクラシックやオペラが出てくるのでさぞや詳しかろうと思われるかもしれないが、実は全く。「フィガロの結婚」もあらすじ−フィガロの結婚当日、花嫁に横恋慕する領主、領主の愛を失ったと嘆く領主夫人、フィガロの恨みを抱く人たちが入り乱れてのドタバタコメディ−。最後は無事結婚し、領主夫妻の中も元に戻って万万歳−を知っていただけ。
なので出だしの曲を聞いて(あぁ、これかぁ)それ位なんです。他にも聞いたことのある曲がいっぱい出てきた。

最初は指揮者Levineとオケのアップから。演奏中こんな表情をするんだ。
劇中は、コミカルな表情、細かなしぐさがアップで映されるのでわかりやすかった。いやぁ笑った。Wagnerと違ってお気楽で単純。
フィルムとはいえ、上演終了後の舞台挨拶では、指揮者や歌手に向かってホール内から拍手が起こってました。
いやぁ楽しめました。これがタダとは、ありがたい限り。

Deutsche GrammophonからDVDが出ているようですが、サイトでは見つからなかった。

鑑賞メモ
場所:The Barbican
日時:2005年7月28日(木)19:00-22:30
出演者(登場順)
Bryn Terfel Figaro
Cecilia Bartoli Susanna
Paul Pishka Don Bartolo
Wendy White Marcellina
Susanne Mentzer Cherubino
Dwayne Croft Count Almaviva
Heinz Zednik Don Basilio
Renee Fleming Countress Almaviva
Thomas Hammons Antonio
Antony Laciura Don Curzio
Danielle De Niese Barbarina
Jennifer Welch Bridesmaid
Andrea Trenik Bridemaid
The Metropolitan Opera Orchestra&Chorus, conductor Lames Levine
Jonathan Miler production
posted by M at 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽:クラシック
Fri,29 July 2005

一つのテロの終わり?

28日(木)、アイルランドのカトリック系武装組織IRA(Irish Republican Army:アイルランド共和軍)が、武装闘争の集結を宣言。この宣言は28日(木)16:00(GMT+1、なぜか日本時間の29日0:00JST)から効力持つをとしている(全然関係ないけど、日本の損保の契約って16時で満了するんですよね)。今後IRAは武器を放棄し、政治闘争に専念していくと言っている。

英国でテロといえばIRA。7日にテロが起こった際も、IRAを連想した人が少なからずいたほど。

今回の発表、英国ではとても慎重に、疑心暗鬼の目で、でもやや期待を持って受け止められている。これはいわゆる和平プロセスが始まってから、何度も合意を結んだり、武器の放棄を宣言しては、IRAが破ってきたため。
それでも今回期待が持たれているのは、ここ数年IRAがかなり追い詰められていたから。特に今年に入って北アイルランドのベルファストでRobert McCartneyという男性がIRAのメンバーを含む数人に殺され、Robertの姉妹とフィアンセ(McCartney Sisters)がホワイトハウスまで行って事件の重大さと犯人逮捕を訴えるなどしていたのは相当大きな世論となっていた。

一つのテロが終わる?

29日(金)の英国の新聞各紙は、この武装闘争終結宣言を一面で扱っているけど、一番上手く表しているのはThe Sunのこの紙面だと思う。
posted by M at 12:03 | Comment(0) | TrackBack(1) | news
Thu,28 July 2005

ウナギ食べたい!

ロンドン、ずっと雨が続いて肌寒いです。室内では長袖にカーディガンを羽織ってます(勿論クーラーなんてありません)。
とはいえ先週まではそこそこ暑かったし、バテ気味。やっぱり土用の丑の日、と思うと、ウナギが食べたい!
でも、ロンドンで蒲焼なんて夢のまた夢。日本食レストランや食材屋に行けばあるかもしれないけど、高いだろうし、そこまではできない。

英国では「夏バテ防止のため」の食べ物、といった発想がないのですよね。以前英国人に尋ねてみたら、首をかしげて「うーん、以前は夏はそれほど暑くなかったからねぇ」。そうだよな。

蒲焼はないけど、ウナギはあるのです。ただ、私の周辺は皆食べたことがないらしく、具体的にどんなものかよくわからない。煮凝りのようなものらしい。ある知人曰く「ロンドンの東部地区で、パブでつまみとしてよく出される」とのこと。ロンドン東部地区は2012年のオリンピック会場になるのだけど、ロンドンでは貧困な地域、労働者階級が住む地域とされている。彼女が続けて曰く、「労働者が栄養をつけるために食べる食べ物」。
「確かベッカムはそれが好きだって言ってるのを読んだことあるんだけど。」
「そうね、彼はあの辺りの出身だから。」
(いつも会話の中で階級意識が見え隠れするんだよな、英国人って。)

ユダヤ教では背骨のない魚は食べられないので、ウナギは食べてはいけない食べ物とされていた。ところが数年前、「ウナギの体の中央にあるのは背骨」という説が出て、ユダヤ教徒もウナギを食べられるようになるかもしれない、というnewsを読んだ覚えが。その後どうなったんだろう。ウナギ食べてるのかな。

こんな記事を見つけてとっても心配。ウナギの完全養殖ができないとは知らなかった。土用以外にも我が家では頻繁に食卓に上ってたんだけど、贅沢なことだったのかも。

でも、やっぱり食べたい...。
posted by M at 18:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | 海外生活
Wed,27 July 2005

友人の音楽コンサートを鑑賞

昨夜は友人が所属している音楽クラブのコンサート。音楽愛好家が集まって、それぞれ楽器や声楽など日頃の成果を披露するというもの。言ってみれば発表会。

場所はHampsteadという、ロンドンの高級住宅街の一角にあるBurgh House。ここは18世紀初頭に建てられた、かつては個人の邸宅だったもので、現在はgradeI(国宝級)の保存指定を受けている。当時はこの辺り温泉が出ていたらしく、温泉飲料治療を推進するお医者さんが住んだこともあったらしい。現在は地元の歴史を展示するミュージアムとなっている他、音楽室もあり、こういった催し物に貸し出されている(サイトの建物で、地上階の左端の部屋にマウスを持っていくと、音楽室の様子がわかります)。木枠がペンキで塗られてしまう現代の住宅と違って、木の肌が綺麗に姿を見せている部屋がとても美しかった。

このコンサート、約2ヶ月毎に定期的に催されていて、昨夜は5年目のシーズン(こちらの諸々のシーズン開始は9月)の最終日。昨夜の出演者は12人ほど。バッハからガーシュインまで、声楽、フルート、バイオリン、ピアノなど様々。友人はラフマニノフの作品5曲を熱唱。ロシア系英国人(多分お爺さんの代で英国に来ていると思う)で、大学ではロシア語を専攻し、旧ソ連時代にはモスクワに留学していたというだけあって、ロシア語で朗々と歌い上げてた。言葉がわからなくても悲しい歌は悲しく響くから不思議。ひいき目無しに、昨日歌った中では一番良かった。

また12人の演奏者中に日本人が3人。フルートがお1人とピアノがお2人で、ピアニストの1人はプロ。現在ロンドンで勉強中という若いピアニストのモーツァルトの演奏は一生懸命で、素直な感じでとても好感が持てた。プロのピアニストの方のシューベルトの演奏はさすがに他を圧倒。ホンの2m程離れた席でプロの生演奏を聞いたのは初めてだけど、これほど違うものかと感無量。手元も良く見えて、とても柔らかな手首(これができなかったのよねぇ、黄バイエルで終わったMである)と、しなやかなのに一音一音はっきりと響かせる指の動きに見惚れた。頭の中で音符が書けるかと思うほどはっきりした演奏。無料(コーヒー代で30p(約60円)だけ)で、素晴らしいものを聴かせていただきました。

[参考]
Hampstead Music Club
Burgh House
posted by M at 16:56 | Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽:クラシック
Tue,26 July 2005

最新技術に収められた奇跡?

イタリア、ナポリの近くのアチッラという町で、教会の祭壇に置かれたマリア像が「歩いている」動いていると話題になっているそう。
話題になっているのはアチッラの聖ピエトロ教会に昨年の12月に置かれたマリア像。石膏と大理石の粉末でできた160cmほどの像が、両手足が生身の人間のような形になり始め、膝が白いローブの下から現れて、信者の方に歩み寄ろうとしているようだったとか。胸には十字架も現れたよう。

これを信者が携帯カメラやムービーでこれを撮影して−ここがなんとも現代的な話−、地元の大司教に送られていている。
今のところ司教や教区の大司教は否定的で、注意深く見守る意向のよう。

逆に共産党系のアチッラの市長が、この「奇跡」は聖母マリアがテロ攻撃に怒り、平和を祈るしるしだ、と言っていること。
立場としては反対だよね。

昨日は南イタリアにある聖ピオ像が血の涙を流したとの報道もあったそう。

これを奇跡と取るか、どうか。
私が読んだ記事はThe Times だけにどうも色眼鏡で見ている感じだけど。

[参考]A miracle of modern technologyThe Times2005年7月26日付け記事より
posted by M at 21:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | news
Mon,25 July 2005

King's Crossで記帳。

先日、King's Crossでバスを乗り継いだので、追悼場所となっている駅前東側の一角にある広場に行ってみた。
夜23時頃だったが、大勢の人が訪れていた。溢れるほどの花の匂いが交じり合って香ばしいほどだった。
壁にはそれぞれ思い思いの気持ちを込めたメッセージが各国語で張りだされていた。国旗にメッセージを書き込んだものもあった。S県S市の消防署員と思われる方のメッセージの書き込みがある日の丸もあった。今回のテロでは救出に当たった治安関係者、消防署員、医療関係者の活躍が賞賛されているが、ロンドンは、1666年の大火以来火事にトラウマ的な恐怖心を持つ街だから(日本は地震、雷についで三番目ですね)、特に消防署員は日頃からとても尊敬されている。そんな方々を労ったメッセージだった。
広場を出た横には、簡素な机の上に一冊のノート。記帳はロンドン市役所で行われているだけかと思ったらここでもできたんだ。早速列に並ぶ。列にいたのはいろんな人種、宗教の人々。イスラム教徒もいた。お互い日頃から人々が自然にしているように、目を合わせて軽く会釈する。「キミも来たんだね」「そう、貴方もなのね」「大変だったね」といった思いが交錯する。
ノートにも世界各国の言葉で追悼の文字。記帳できるとは思わなかったので、心構えも、気の聞いた文言も浮かばず、日本語と英語で冥福を祈る言葉を綴ってきた。
終了後、横に立っていた二人の警官に会釈。駅周辺の治安と、この記帳の場所の治安のためにいるのだろう。花が置かれた広場と記帳の場所は、朝7時からmidnight(24時)まで開いている。その間警察官も立ち続けているわけで。ご苦労様です。

24日(日)、7日(木)のテロの犠牲者の家族、友人らが現場を訪れた。Edgware RdとAlgate両駅はホームまで、バスが爆破されたTavistock Sq.近くは現場までいけたそうだけど、また作業が続くKing's Cross-Russell Sq.間は中に入れず、駅の外までの訪問だったそう。犠牲者が多かった分、この現場を訪れた家族、友人が最も多かったとのこと。
まだ行方(遺体)が特定されてない人も多い。この方々は何処で気持ちの整理がつけられるのだろう。

[参考] Relatives visit four bomb scenes(BBC News|UK|サイト)
posted by M at 20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 海外生活
Sun,24 July 2005

テロ−7/21ロンドン、7/22シャルム・エル・シェイク, and elsewhere

21日、ロンドンのテロ未遂の事件が起きた場所の詳細はThe Times、7月22日付けの記事に詳しく示されている。この図で色のない爆発の印が7月7日に爆発があったところ。数字が降られているところが、21日に避難騒ぎや小爆発などがあったところ。22日にテロ犯と間違われてブラジル人が警官に射殺されたのは図で2番となってるOval駅の隣のStockwell駅。
当初場所を聞いたときは、丁寧に東西南北を狙ったな、また前回よりマイナーな場所だな、という印象。大きな駅だと警戒が厳しいと思ったのか。よく見ると、南のOval駅以外は7日の現場からそれほど離れていない。同じようなところばかり狙っているのは、土地カンがその範囲なのか。
昨23日(土)のラジオからは、怪しいものを見かけた場合の情報提供のための電話番号と、シャルム・エル・シェイクでのテロを受けた身内や知人の安否確認のための電話番号が繰り返し流れた。
日常生活を、とひっきりなしに政府が呼びかけ、人々も口にしている。いつも通りの生活をし、買い物に出かけ、友人と会い、ホリディに出かける人々もいる。でも7日のテロの後に比べたら確実に非日常が居座り始めた気がする。
例えばテロについて語る時。お互いを気遣い、「頑張ろうね」という口調から、「一体何が起こるのかわからない」という内容に変わってきている。
例えば地下鉄の運行状況。
正常な時の地図はこちら
現在運行が止まっている路線の地図がこちら
いつもどこかで"engneer work"をしていたり"staff shortage"だったりで、まともに地下鉄が動いていることがないロンドンだけど、この状況は確実に「異常」。
"normal"という言葉が聞かれなくなってきた。

でもロンドンだけじゃない。
今月に入ってトルコもきな臭い。散発的にテロが起こっている。
22日(金)のシャルム・エル・シェイクでのテロはかなり大規模だったようで、死者を含む被害者の数が大きい。ただその大多数(現地時間朝の時点で死者88人中外国人犠牲者が7人と報道)が自国民だというのは解せない。一体何を目的としてのテロなのか。ムバラク政権を揺さぶりたいのか。このテロについては、パレスチナのハマス(欧米からテロ組織と位置づけられている)も非難声明を出している。「このようなテロはパレスチナ国家樹立の戦いを阻害する」。
[参考]シャルム・エル・シェイクは、日本からは遠いのでなじみのない方も多いかもしれないですが、エジプトのシナイ半島にある紅海きってのリゾート地。世界中の一流ホテルが林立しています。海は世界一透明度が高いとも言われ、ダイビングのメッカでもあります。ヨーロッパだけでなく、アラブ諸国からイスラエルまで人々がホリディを楽しみに来る場所。観光が大きな産業のエジプトで重要な位置をしめています。

従来テロといえば、民族闘争、支配からの独立、国家樹立ということが大義だった。今のテロはこれらとは確実に一線を画している。組織も従来の確固とした形でなく、まるでインターネットのウェッブのように小さな細胞が各地にできている。彼らを繋ぐものは本当に原理的イスラム主義なのか?ここまで過激な行動に出て、達成したいことは何なのか?イラクからの米軍を始めとする諸国軍の撤退?ならなぜ同胞を狙う?
これらの報道に隠れているけど、毎日イラクでも大規模なテロが起こっている。そこで犠牲になっているのは、駐留英米軍兵士以上に、圧倒的に市井のイラクの人々。
敵が見え難い、大義が見えない。わかりにくい。だからこそ今のテロは怖い。
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Sat,23 July 2005

フランスへ−その3:2日目後編、ParisにてThe Da Vinci Codeをたどるの巻

1.21日午後、Paris、St Sulpice(聖シュルピス)教会
St German辺りもしょっちゅうウロウロしているのに、この教会にきたのは初めて。St German des Presからも直ぐ。思ったよりも大きな教会でビックリ。実は有名な教会らしい(帰宅して大家さんに話したら、何十年も前に訪れたことがあるとのこと)。入って右手にドラクロワの巨大な宗教画が3枚もある。左手にはトリノの聖骸布の写しが2枚。各窓は、周辺は普通のガラスで、中央部にステンドグラスで聖人が描かれていて、フランスにしては割りに地味。中央には幼いイエスを抱く聖母マリアの像。日時計(グノモン)は教会内の中央部左にどっしりと立っていて、その前に子午線が引かれている。そこにあった説明文(日本語あり)には、「この線は『ローズライン』という呼び名で呼ばれたことはありません。」(笑)。シラスが取り外した岩がどれかわかりませんでした。

2.Musee de I’Orangerie(オランジェリー美術館)
未訪で訪れたかった場所のひとつ。でもこの美術館、当初の予定では2002年に修復が終わるはずだったのでは?まだ終わってないよー。2005年中には一部見られるようになるとの情報もあるけど、どうなることやら。

3.Godiva、パリ店
私はGodivaのEvening teaが大のお気に入りなのだけど、ロンドンでは2001年頃から売られなくなって、2年半前パリに行った時に買いだめしてきた。で、今回もと出向いてみたら「7月31日まで改装工事中」(大泣)。

4.Musee du Louvre(ルーブル美術館)
ここまできたら近くだし、本格的にThe Da Vinci CodeをたどってみようとLouvreへ。実は17年ぶり。前回は日曜でただで入場できたのだけど、確か半日しか開いてなくて、近代の仏絵画や、オランダ派、ドイツ派絵画を見られなかったのでそのリベンジも。ところが最上階へ行く階段に全てロープがかかっている。(?_?)と美術館の学芸員に尋ねると「毎週木曜は最上階の一部は閉鎖されるのです、マダム」。またドューラーの自画像が見られなかった(大泣)。
それでもフランドル派の所は開いていたので、レンブラントの自画像をいっぱい堪能できたし、フェルメールの絵も2枚見られた。私の「人生のやりたいことリスト」の一つは「レンブラントの自画像を全部見ること」。これでLouvreの所蔵分も押えたぞ、と。
で、モナ・リザ。2005年4月から展示室が変更になってた。The Da Vinci Codeの世界と絵の配置が変わっちゃったよ。モナ・リザの向かいには巨大な「カナの婚礼」の絵が。映画の撮影はどうするんだろ。以前の場所(ドゥノン翼奥のイタリア絵画の間)にあることにするんだろうな。
一通り絵を見てから、1階のリシュリュウ翼とシュリー翼でハンムラビ法典などのメソポタミア美術、それにエジプト美術と古代ギリシャ美術(ミロのビーナス)を堪能。大英博物館もすごいけど、ルーブルも凄い量の世界各地から収集した盗品美術品。建物の柱といった巨大な石の建築物を見ているとどうやって運んだのか不思議。当時は船しか輸送手段がなかったはず(現代でも飛行機に乗せられる代物とは思えない)。海の底に沈んだものもあるのかも。各国とも自分たちの国の美術品を返して欲しいんじゃないかと思いつつ、鑑賞する側としては、一箇所で世界中の見事な美術品を見られるのはありがたいし、ルーブルにあるからこそここまで保存状態も良く、また研究も進んでいるのではないかと思うと、フランスの文化への貢献に敬服。
入り口のピラミッドと逆ピラミッドって場所が離れているのね。あんな騒々しいところに「あれ」はどうかと...。
[参考]
ルーブル美術館公式サイト
Dan Brown(The Da Vinci Codeの著者)公式サイト

5.Brasserieで軽く夕食。
その後は街の中をうろつき、目に入ったBrasserieでお昼兼早目の夕食。パリのレストランの夕食時間は19時から20時に開店なのだけど、今回は19時半までにチェックインしなくちゃならなかったのでディナーは諦める。仏語のメニューが読めないので、英語のメニューもあった店に入ってオムレツをたのんだのだけど、フランスにしては?な味。これだったらどこかでバゲットのサンドイッチを買って列車内で食べた方が良かった。カウンターの中でギャルソンと仕事を終えた女性が話してたり、地元のなじみ客が顔を出して一杯飲んでいったり挨拶だけしていったり、と、アメリな光景を見られたのは面白かったけど。
今回は英国を脱出して美味しいものを食べることも目的だったのに、食事は悉く失敗。残念。前回は市内のホテルに泊まってホテルのボーイにいちいち尋ねていったらどれもこれも当たりだった記憶があっただけに期待していたのだけど。やっぱり下調べと地元の情報が大切は大切だなと痛感。

6.21日夜、Paris〜London
20:13、フランスの夕日を見ながら帰途に着く。実はEurostarの2等席って、座席は硬いし、背もたれは動かせないし、足の部分は狭いしで、座りづらいし寝づらい。新幹線の方がずっといいですよん。21:47、London Waterloo Internationalに定刻どおり到着。英国への入国審査はフランス側で済まされ、Waterlooには何もないのだけど、出口のところに二人ほど入国管理官と思われる人物が立っていて、イスラム教徒らしき男性が呼び止められていたのが気になった(直ぐ解放されていたけど)。
Waterlooからはバスで一本で無事帰宅。まさかこの日にもテロ未遂があったとは露知らず…。
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Fri,22 July 2005

フランスへ−その2:2日目前編:Versailles

1.21日朝、Aeroport Charles de Gaulle〜Versailles
帰国する友人を空港で送り、空港内の連絡バス乗り場前で同様にバスを待つ若い男性と話す。てっきりフランス人かと思いきや、なんと出張で来たレバノン人。「日本人?仏語できないの?じゃあParisまで一緒に行こう。僕仏語話せるから」。そう、レバノン(エジプトも一部)では、第2外国語は仏語が強くて皆流暢に話す。
しかし彼、仏語は話せるし、しょっちゅう出張できていると言うわりには把握が弱い。バスに乗ったら「ここだよ」と次で降りる。待て、ここは隣のゲートだ。そこにある「駅」というサインは、この道を行った先に駅があるということだ(-_-;)。一応仏語は第2外国語で、会話はダメでもそれくらいの案内は読めるぞ。ということで慌ててバスに乗りなおす。駅についても、「こっちだよ」と案内してくれるけど、何度も確認しながら慎重に進んでいく。こっちは元来せっかちな性分で、ずんずん先に行きたいところだけど、親切に案内してくれているので無碍にもできず、ゆっくりと後をついていく。
それでも無事電車に乗車すると、建築家らしく建物の説明などしてくれた。と、我々の背後に座っていた若い男性が仏語で話しかけてきた。会話から察するに、スイス人で、TGVの乗換えを待つ間パリで時間つぶしをするつもりらしい。二人が仏語で会話するのを、どちらかが英訳してくれたり、3人で英語で話したり、と、しばし国際交流。レバノン人もカッコよかったけど、スイス人もジェフ・ファインズ似でなかなか。「ちょっとヤなことがあって、メキシコに1週間行ってたんだ」。それは失恋だね>青年。「テキーラいっぱい飲んだ?」「勿論。そこにも入ってる。」とバックパックのほうに目をやる。
やがて二人がそれぞれの駅で降り、私も一路Versaillesへ。途中電車を乗り換えたのがMirabeau(ミラボー)橋の袂の駅。橋を写真に収める。
ミラボー橋の下、セーヌは流れる そして僕達の愛も (by Appollinaire)
とアポリネールの詩の一節が出てくるのは良いけど、この詩はここまで。
実はパリにいると必ず頭に流れる歌はアニメ、「ラ・セーヌの星」のエンディングの歌。
♪ラ・セーヌは今日も流れる 花売り娘は知ってる 冬の後には 花咲く春後来ることを♪
アポリネールの詩が全部暗誦できなくて、「ラ・セーヌの星」は歌えてしまう私って...。
でもパリを散策する楽しみの一つは、セーヌ川にかかるたくさんの橋を訪れてそこからの眺めを楽しむこと。これで訪れた橋がまた一つ増えた。

2.21日昼、Versailles
フランスは5回目、パリも4回目だけど、Versaillesは初めて。フランス風の華美で虚飾が華々しい建物は実は苦手。それでも「ベルばら」世代として一度は見ておかないと、と今回足を伸ばす。到着してさっそく個人見学の列に並ぶ。と、そこに、日本人女性二人がいらして「入り口はここでいいんでしょうか」。姉妹であちこち旅行しておられるとのこと。年を重ねてから姉妹で旅行できるって素敵だな。「喧嘩もしますよ」と仰ってたけど。入場までの30分弱、楽しい時間を過ごさせていただきました。今頃帰国されているはず。良い旅でありましたように。地震は大丈夫だったかしら。
時間がないので当初から庭とトリアノン宮は諦め、宮殿のみ見学。
なんと鏡の間が修復工事中(2007年まで)。「板の間」でした(泣)。
それにしても派手だわ。これじゃ財政破綻もするわな。マリー・アントワネットの煌びやかな寝室で、以前行った処刑前の独房(Conciergerie、パリ市内シテ島にあり)を思い出す。この煌びやかさからあの薄暗い独房か。まさに天と地。
前日のChantilly城もそうだけど、窓が小さくて中は暗いし、換気が悪いのか、観光客が一杯だからか、空気がよどんでいて蒸し暑い。往時もここには着飾った老若男女が夜毎舞踏会などで集っていたわけで、当時はトイレがなくて外でしてたって言うし、女性は大衆をごまかすために香水をふんだんにつけてたって言うから、やっぱり空気は悪かったろうなぁと、妙なことに思いふける。
窓から見た庭はあまりにも広大。これは東京ドームいくつ分?でもなぜか感動が今ひとつ。
マリー・アントワネットが幼少を過ごしたウィーンのシェーンブルン宮殿を訪れた時、2階の窓から庭を眺めた時の風景は、いかにも眼下に世界が広がっているようで、「この世は全て自分のもの」という感慨がして、さすが世界を制したハプスブルグ朝、と思ったものだった。また英国のワイト島にあるヴィクトリア女王の別荘(Osbourne House)もやはり広大な庭があって、その先には海が、そして海の向こうには英国本土があって、海と本土が上手く借景のように取り入れられていて、窓からの眺めがやはり「この庭も、海も、あの本土も自分のもの。七つの海は自分のもの」という感慨にふけるだけの迫力があった。
ヴェルサイユも同様に広いのだけど、なぜかそんな思いに至らない。あまりにも計算された人口の庭だからか、ブルボン朝なんて所詮そんなもんだったのか。
面白かったのは「国民議会を紹介する博物館」。ヴェルサイユ宮殿内に、上院、下院が合同で憲法改正を討議する議事場があるのだ。こんなものがこの宮殿内にあるなんて知らなかった。往年の議員、議長や歴代大統領の肖像も展示してある(説明が仏語だけなので名前程度しかわからなかったけど)。世界の国会のコーナーには、イスラエルの国家樹立宣言があった。2年間イスラエルにいて、国家樹立宣言が行われた家(現在博物館)にも行ったのにこれは見たことがなかった。
煌びやかな宮殿本体よりもこの議事場が面白かったってのが私らしいところか。

[参考]
ヴェルサイユ宮殿公式サイト
コンシェルジュリー
シェーンブルン宮殿
オズボーン・ハウス公式サイト
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Thu,21 July 2005

フランスへ−その1:1日目、Paris〜Chantilly

友人がパリへ来るというので、息抜きにパリにでも行こうと待ち合わせ。

1.20日朝、London〜Paris
8:12Waterloo International発に乗り、11:47にParis Nord到着。ユーロスターの場合、チェックインは30分前、しかも北駅に着いたらホームをそのまま歩いて出るだけで入国手続きなどなし(ヨーロッパなので改札もなし)。料金(今回は往復で79ポンド(約15,800円))、所要時間も約2時間半と、東京−大阪間の新幹線にでも乗ったようなもの。朝早かったので、動き出したら直ぐ夢野世界へ。目が覚めたら車が右側を走っていたので、(あぁフランスか)と気づいた。

2.20日昼、Chantilly(シャンティイ)へ向かうも...
北駅で友人と会い、この日の目的地であるシャンティへ移動。友人は乗馬が趣味で、ここで乗馬博物館と馬のショーを見るのが目的。
ところが、北駅から郊外線(RER)に乗って目的地に直行するはずが、なぜか列車が途中駅で止まり、暫くしたら来た方向に引き返す。二人してお昼のバゲットをかじりながら(?_?)。私もネットで調べたし、友人がパリで滞在していたパリジャンの女性もちゃんと確認したのに。車内で英語のできる人(友人も私も仏語は片言)に尋ねると、列車はパリに向かっているので降りて乗り換えなければならないとのこと。次の駅で降りて駅員に確認し、下りの列車を待って乗ったがこれが目的地手前止まり。目的地のシャンティイとその日泊まるホテルがある隣町への列車は2時間後。しようがないのでtaxiを呼ぶことに。

3.20日午後、シャンティイ城とコンデ美術館、生きた馬の博物館(なんちゅう名前だ)見学
ホテルに荷を降ろし、待たせていたtaxiでシャンティイ城へ。いかにもフランスな古城。周辺の庭との調和が見事。中にある美術館は、持ち主だったオルレアン公の遺言で収蔵品が貸し出し禁止で、貴重な作品を見られる。しかしまぁ、昔の貴族ってどうしてこう絵画を一杯集めたんでしょうねぇ。壁一杯に所狭しと隙間なく並ぶ大量の絵を見てると息が詰まる。しかもフランスのお城って、窓が小さくて全体的に暗いし、空気が入れ替わってるんだかないんだか。このお城はいくつかの部屋で屋根をガラス張りにして採光に工夫を凝らしていたけど、それを1800年代前半に導入していたって所に領主の絵画へのこだわりを感じる。
見学後、生きた馬の博物館(Living museum of the house)へ。ショーは17時頃だと聞いていたのに16時半が最終。17時半からドレサージュが見られるというのでそれを待つことに。その間博物館の中を見学。馬の種類や人とのかかわりの歴史から馬具などさまざまな展示物が、元厩舎と思われる建物に一杯。ドレサージュのショーでは見事な馬の動きを堪能。
シャンティイ城をネットで調べたら、最近ここで結婚式あげるのがブームなんですか?そんな日本語のサイトが。
[参考]Chateau de Chantilly公式サイト

4.20日夜、夕食、そしてホテルへ
ドレサージュを見た後シャンティイの街へ。といってもちっちゃな村で、中心部のお店が並ぶ通りもホンの少し。村の庁舎に近いところにあったbrasserieに入る。店の外にずらっとテーブルが並び、向かい合うのでなく並んで座っているのがいかにもフランス風。まずはキール・ロワイヤルを飲んで、そのあとカランでハウスワイン。食べ物はオニオン・スープ、サラダ、ハム盛り合わせ、350gの牛(部位は忘れた)と盛りだくさん。友人は「フランスでデザート食べないと」といいつつ、さすがにたどり着けなかった。味はフランスにしては?だったけど、お店のギャルソン達が可愛くて、親切だったので○。taxiを呼んだのになかなか来ないのを気遣って、何度も問い合わせてはテーブルにやってきて「もう直ぐ来ますから」と言ってくれた。
やってきたtaxiの運転手は、「日本人?俺はユタカ・タケと友達だ。彼は去年1ヶ月ここにいて、俺の車に乗ってたんだよ」。やっぱり馬と縁の深い街なのね。
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Wed,20 July 2005

時差

私が今住んでいるところは、日本から8時間(夏時間のため。通常は9時間)遅れている。
この8時間と言うのは、とても微妙な差。
夜、一段落して、blogの文章を考え出す23時頃、日本では翌朝7時。一日が始まる時間。
大抵は、上手くまとまらないまま、一眠りして考えを発酵させようとベッドへ。その頃日本では大抵の学校、会社が始業し、社会が動き出す。
翌朝こちらが動き出し、朝食を取り、朝のnewsを聞き、新聞に一通り目を通し、一日が動き出す9時頃、日本では17時。学校や会社は終業時間に近づき(最も残業などがあるんでしょうが)、夜を迎える。朝と夜が全く逆。正確には逆ではないけれど、真逆の生活時間帯に感じる。丁度一日の1/3分違っているからか。

日本で朝起きた時、一日の始まりに新しい記事を読んで欲しいと思いつつ、実際の記事更新は日本の一日の活動が終了する頃。毎日ほぼ一定時更新というのはなかなか難しいですね。

もっと違う時間帯、例えば13時間差の米大陸辺りに住んでいる人たちは、日本との時差をどう感じているのだろう。
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Tue,19 July 2005

2005 Prom4 Die Walkure

昨夜(18日(月)はPromsへ。

参考までに書くと、Promsとは、ロンドンのRoyal Albert Hall(以下RAH)を主会場として、7月中旬から9月中旬までの2ヶ月間毎晩クラシックのコンサートが開催される催し。1895年から始まり今年で111回目(てことは、戦争中も中断しなかったのか)。当代一流の演奏家が安く気軽に見られる、こちらの夏の風物詩。
チケットは£6(約1,200円)から£73(約14,600円)まで(様々な割引制度あり)。
でもPromsで有名なのは、地上階の中心部の座席を取っ払って作られたアリーナと、最上階のギャラリーでの立ち見(約1,400席)。こちらの人はこれらの場所をPromenadeと言い、ここで立ち見することを'promming'と言います。ここは£4(約800円)で、当日30分前から販売開始。でも大抵1,2時間前から皆列を作って待つ。昨年のRattleのBeethovenの第九なんて、昼に行ったら既に長蛇の列で、13時に番号札が配られて「夕方戻ってきてね」。
もう一つ有名なのは最終日の' Last Night in Proms'。こちらの人々は、この夜の最後に国歌(♪God Save the Queen♪)とエドガーの「威風堂々」を歌い、国威発揚意識を高めて、で、夏も終わりだなと思うわけで。
BBC radio3が全コンサートを中継、しかも翌日14時(日本時間夜22時)から再放送もあるので海外でも聴衆可。
更に付言すると、RAHは、The Beatlesが王室も出席したチャリティ・ショーで演奏して、ジョン・レノンが「安い席の人は拍手をしてください。高い席の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください。」と言った所。

閑話休題。
というわけで、クラシックいまだよくわからないのに、また出かけてきました。
昨夜の演目はDie Walkure。Covent GardenのRoyal Opera House(以下ROH)のオケと出演者がごっそり移動して、コンサート形式(題名のない音楽会風)での舞台。三大テノールの1人DomnigoがSiegmundでProms初登場、さらにWotanが当地で大人気のBryn Terfelだってんで前売りは即売り切れ。いつもは当日並んで「プロムる」貧乏学生Mも、こればかりはとは初めて予約。下から2番目の値段のチケットを予約したのに、既に満席だったかrestricted viewの一番安い席が来た時にはちとがっかり。でもまぁDomingoの顔を見に行くわけでなし、老けたSiegmund見るより声だけで充分、と高を括っていざRAHへ。
が、行ってみたら、座席は舞台右斜め後方の3階部分の端。オケが上から(一部照明で隠れるも)よく見えて、音も大迫力。歌手は横から見る形に。偶に右を向いて歌ってくれると正面で対峙している気分。生の声が良く響いてきました。

で、コンサートは、良かったんですよ、これが。高を括っていた私が悪かった。
Domingoは凄く若々しくて色気のある声でビックリ。声量も他の歌手とは比べ物にならないほど。第一声で観客掴んでました。若い時は声だけで悩殺したんでは。Siegmund演ってても違和感ない(演技力も凄いのね)。Sieglindeとの恋のやり取りの部分もドキドキするほど。さすが三大テノール。すいません、無知な私がいけませんでした。
でも1幕で登場しただけでstanding ovationって。しかも2幕終了後帰った人があちこちに。Domingo目当てだったのか、それとも帰るのが大変だから?私の隣に座っていた女性二人は、Bristol(英国の南にある海岸沿いの都市、英国の湘南?)からきたと言ってたけど、3幕開始直前「犬が逃げちゃったんで帰らなくちゃ」と帰っていった。
実はDomingoとSieglinde(Waltraud Meier)以外のキャストで3月にROHで観ているのだけど、その時同様Brunhilde(Lisa Gasteen)はやっぱり良かった。大迫力。女戦士WalkureとSieglindeがそろう三幕冒頭、群を抜いた存在感。Sieglindeも良かった。クラシックはホントに疎いMですが、(あ、ここはフォルテね、ピアノね)とわかる位の歌い方。愛するSiegmundの子供を宿している、とわかってからの雰囲気の違いも良く出してた。
WotanのBryn Terfelは3月より断然良かった。3月の時点でもこちらでは絶賛されてたんだけど、私が見に行った日は悲壮感が感じられなくて、何でかなぁと思ってたら、アンコールにWalesの国旗を背負ってきたんでわかった。この日はラグビーの6カ国対抗戦の決勝で、ウェールズ人としては心ここにあらずだったんだろうな。でも昨夜は3幕最後、父と娘が互いを愛しい、いとおしいと思いながら、娘をWalkureの任から解き、眠らせて人間界に放つシーンではちょっとウルウルしました。
Fricka(Rosalind Powright)もHunding(Eric Halfvarson)も良かった。
オケも、3月に聞いた時はこじんまりしていて迫力がないように感じたけど、昨夜はある意味主役だからか大迫力。アンコールは3回位あったけど、最後はオケに大拍手でした。

[参考]
BBC Proms

[鑑賞メモ]
場所:Royal Albert Hall, London
日時:2005年7月18日(月)17:00-22:30
出演者(登場順)
Placido Domingo Siegmund
Waltraud Meier Sieglinde
Eric Halfvarson Hunding
Bryn Terfel Wotan
Lisa Gasteen Brunnhilde
Rosalind Plowright Fricka
Geraldine McCreevy Gerhilde
Elaine McKrill Ortlinde
Claire Powell Waltraute
Rebecca de Pont Davies Schwertleite
Irene Theorin Helmwige
Sarah Castle Siegrune
Clare Shearer Grimgerde
Elizabeth Sikora Rossweisse
Orchestra of the Royal Opera House, conductor Antonio Pappano
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Mon,18 July 2005

back to normal-ニクラウス、ウッズ、エドワード・ヒース

ロンドンはこのところ晴天続き。最高気温が30℃近くまで上がり、暑いと感じることもあるけど、からっとしているのでそれほど辛くはない。これでセミが鳴けば避暑地にでもいるようだけど、ロンドンにはセミはいない。その代わり早朝は裏の庭からキツネの鳴き声が聞こえる。時折リスの姿も。

確実に「日常」が戻ってきている気がする。勿論まだ地下鉄は一部運行できないままだし、いまだ見つからない行方不明の方も多くいらっしゃる。でもタブロイド紙は、Hな女性の姿を一面に載せ、トップ記事は芸能人のスキャンダル。一般紙はニクラウスの全英オープン最後のプレイを惜しみ、今日の朝刊は早番はタイガー・ウッズの全英オープン優勝だった。でも昨夜エドワード・ヒース元首相が亡くなったので、最終版は彼の死亡記事に差し替えられている。享年89歳。

このヒース元首相、英国をECC(ヨーロッパ経済共同体(当時))に加盟させた人物として、また後年サッチャー女史と党首の座を争って負けたことで有名。今回の死亡記事を読み返してみると、決して裕福な家の出ではなく、自らの努力でOxfordにいった叩き上げの人物であったよう。そこは「金物屋の娘」と陰口を叩かれたサッチャー女史(サッチャーって茅の屋根を葺く人って意味ですけどね)と似ている。ただしヒース氏は英国の共同体入りを自らの政治活動の最大目標としていたのに対し、サッチャー女史はEUに反対している人物だから、この辺りの考え方は対照的。
1970年代前半の英国は「欧州の病人」とまで言われるほど経済も疲弊していた。ECC加盟の議論については後に深代 惇郎氏(朝日新聞の「天声人語」の筆者)のエッセイで読んだけど、この本に描かれている英国は、今の英国とは全く違う印象を受ける。まだ古き良き大英帝国の名残が残っているよう。

印象的だったのは新聞やBBCのサイトで見るヒース氏の姿。恰幅がよく、三つ揃いのスーツを着て、ポケットには恐らく懐中時計が入っているであろう鎖が見えて、ズボンのポケットに手を入れて演説をしている。今週はポツダム会談から60年と言うことで、チャーチルの写真もあちこちで見かけるけど、こちらも同様な姿。ヒース氏以降、サッチャー、メジャー、ブレア、いずれもこんなイメージはないし、おそらく今後もこのような、古き良き英国紳士スタイルの首相は出てこないだろう。わずか4年の首相在任期間ながらこれだけ死亡で惜しまれるのは、そんなイメージもあってのことかもしれない。

[参考]
-Foremer PM Sir Edward Heath dies(BBC News Site)
-Obituary Sir Edward Heath(The Times)
深代惇郎エッセイ集
深代 惇郎
4022602414
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Sun,17 July 2005

バレンボイム、パレスチナで演奏会を予定

指揮者でピアニスト(これ、どちらが先が正しいの?)のバレンボイムが、8月21日(日)にパレスチナ西岸の都市ラマッラー(M注:パレスチナの大統領府が置かれている西岸の中心的都市)で、自らが率いるThe West-Eastern Divan Orchestraの演奏会を行う予定だと、15日(金)に述べたそう。

このオーケストラ、イスラエル人、パレスチナ人はもとより、シリア、レバノン、ヨルダン、チュニジア、エジプトといったアラブ諸国の若手音楽家も参加しているもの。なぜスペインが支援しているのかと思ったら、バレンボイムはスペインから名誉市民の称号を得て、スペインはこのオーケストラを支援しているのね。今回はオーケストラのメンバー全員にスペイン政府が外交パスポートを発行しているそう。

実現して欲しいと思いつつ、これは非常に微妙な日程。同月15日(月)にイスラエルはガザからの撤退を開始する予定で、ガザだけでなく西岸もこの頃どうなっているのか想像がつかない。イスラエル側が西岸で外出禁止令が出さないとも限らない。まだラマッラーの治安はイスラエル側が押えたままなのだし。

先週からのイスラエル国内での自爆テロと、イスラエルへのミサイル攻撃、これに対するイスラエルのガザ空爆とハマス活動家の暗殺作戦(target killing)再開で、現地情勢は大揺れ。当初の予定では、今日17日(日)にはパレスチナの評議会選挙が行われ、20日(水)にはイスラエルがガザからの撤退を開始していたはずだった。イスラエルのシャロン首相は当初、「衝突が起こっている中では撤退しない」と言っていたけど、ここにきて「たとえ衝突下でも予定通り(8月15日から)撤退する。」と言っている。最後の嵐なのか、ガザ撤退までこれが続くのか、ガザ撤退後も続くのか。

ところで、ラマッラーでの演奏曲目についての詳細はなかったけど、さすがにワーグナーは演奏しないよね。

[参考]
Barenboim concert set for Rammallah(Ynetnews)
Daniel Barenboim公式サイト
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Sat,16 July 2005

ブライアン・メイとカミラ

ブライアン・メイとカミラ(チャールズ皇太子夫人、皇太子妃とは呼ばれず、コーンウォール公爵妃と呼ばれる)、この一見何の関係もなさそうな二人の共通点は−
「二人とも来週58(←カーソルを当てると答が出ます)歳の誕生日を迎えること。」
ブライアン・メイもそろそろそんな歳か、っていうのはしようがないけど、カミラって凄くお歳だと思っていたので(失礼)、それと同じだってことにショック。カミラは日曜、ブライアン・メイは火曜が誕生日だそう。

[参考]BBC NEWS|Magazine|Quiz of the week's news

昨日15日(金)は、Queen+Paul Rogersの仕切りなおしコンサートがHyde Parkで開催。テロと戦った治安当局関係者を無料で招いてたけど、どうだったのかしら。

ヴィエラのユーヴェ移籍よりも、ハリ・ポタ6巻の発売よりも、サラダに胡椒をかけようとして、中ブタが取れてレタスの上に胡椒の山ができてしまったことよりもショックなことだった。
posted by M at 17:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | news
Fri,15 July 2005

London in silence

昨14日(木)、正午から2分間の黙祷。車も止まり、乗っていた人々は車外に出て道路に立ち、またオフィス街では皆建物から出て黙祷を捧げた。大家さんの勤め先はオフィス街ではなく郊外の住宅地の一角にあるのだけど、ここでも同様に皆建物から出たそうだ。この建物の向かいにある住宅街の人々も皆家の外に出てきたそう。「とってもmovingだったわ」と大家さん。
ウチの周りは、ご近所で草刈機を使っている音がしていたけど直ぐに止んだ。本当に静かな時間が流れた。ラジオも止み、BBCからは時を告げるBig Benの鐘の音の後、さらに鐘の音が続き(これはBig Benだったのだろうか)、やがて音が止んだ。

(こんな静かな時間は、サッカーのイングランド代表が接戦で失点して負けた瞬間に体験することがある位。)

爆破されたバスの運転手が犯人たちに対し、「我々は決して負けることはない」。彼のバスには同僚の娘さんが乗っていて亡くなったそう。

「いろんな肌の色の人がいて、いろんな宗教の人がいて、それで自分もここにいる。それがロンドンだから。」と、トラファルガー広場にいた人のインタビューがラジオから聞こえる。そう、ここはそんな街。Live8の会場で、スコットランド旗を掲げる若者たちもいれば、ターバンを巻いて音楽にノッていたシーク教徒もいた。
ロンドンは、ここにいるだけでユダヤ教徒、イスラム教徒、シーク教徒、タイのお坊さんといった様々な宗教に、そして英国人だけでなく、日本人を始めとする他世界中の人々に会える所である。

イスラム教徒だけでも、パキスタン系、中東、アフリカ系と様々。アラビア語の授業ではいろんな出自の学生がいたけど、皆2世で、コーランは耳で聞いてて唱えられても、文字が読めないのでこの授業を取ってアラビア語を読めるようにしたかった、という学生ばかりだった。親の出身もエジプト、自身はフランス人で親はモロッコ系(でも顔はなぜか不思議にアジアっぽかった)等々。私が一番仲良くなった薬学系の学生は、親はソマリア出身。フランス人学生はヘジャブ(スカーフ)をしてなかったけど、他は殆どがヘジャブを付け、全身を覆うゆったりとした服装をしていた。でもその中は、カラフルなTシャツにジーンズだったりするんだけど。先生はイラク人で、彼女も世俗的なのか、服装は普通にブラウスにズボン(さすがにスカートは穿かない)。

ここはそんな街。だからこれからも寛容性を失って欲しくない。イスラム教徒だからといって疑いの目を、敵意を向ける動きもあるようだけど、それはごく一部の動きだろう。ここでは文明は衝突するものではなく共存する所のはず。今回の事件は、ロンドンの人々の結束を強くしているように思う。
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Thu,14 July 2005

テロから1週間。

今は14日(木)10:10am(GMT+1、日本時間18:10)。先週の今頃、既にnewsが異変を告げて、友人たちの安否確認に追われていた。先週は英国らしいどんより曇った日で、肌寒く、時折激しい雨も降っていた。今日は青空が広がり、最高気温は31℃の予想。
昨13日(水)までに、テロを実行したと思われる4人が特定され、また10名の死亡が公式に確認された。しかしまだ31名が行方不明であり、いまだ病院に収容されたままの重傷者も多い。

亡くなられた方と行方不明の方の記事(The Guardian)を見てみる。年齢も様々だけど、英国、いやロンドンらしくなのか、移民、そしてその2世と思われる人もいる。
ユダヤ教徒の女性とイスラム教徒の女性が写真で並んでいる。イスラエルのテロが怖いと言っていたイスラエル出身の女性が、不幸にもロンドンでバスのテロにあってしまうとは。King's Crossの爆発を逃れたのに、その後爆破されたバスに乗り合わせたと思われ、いまだ行方不明の女性もいる。
ポーランド人が多いなと思った。実際ポーランドからの移民は多く、私のロンドンでの一番の親友はポーランド出身だし、下宿に週に一度やってくる掃除人の女の子もポーランド人。昔友人が下宿していた家の大家さんもポーランド人だったな。いつだったかシティで勤めるポーランド人が通り魔殺人にあって亡くなったnewsもあった。これだけの人材が流出してしまっておくには大丈夫なのかと心配されてしまうほど。

ラジオが、先週の様子を伝えている。「最初は電気系統の故障だという一報だったのが、2つ目の爆発のnewsが入ってきて...やがて僕の人生で最も重大な出来事が起こった一日になっていった...」。

あと2時間。正午、この国は2分間の黙祷を捧げる。
posted by M at 18:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 海外生活
Wed,13 July 2005

テロ後、初めてロンドン中心部へ。

−引き続きお見舞いの言葉をいただいております。皆様本当にありがとうございます。−
−英国では、明日14日(木)、正午(日本時間20時)から、今回のテロの犠牲者のため2分間の黙祷を捧げます。−

昨日、初めてロンドン中心部へ出向いた。

[参考]テロ事件のあった周辺地図
右斜め上にあるのが、地下鉄が爆破されたKing's Cross駅。中央やや下にある青い部分はBritish Medical Association(BMA)の建物。この建物の前でバスが爆破された。BMAの前を走るWoburn Placeはいまだ通行止め。バスは西隣のGower StreetとTottenham Court Roadを迂回している。Woburn Placeは対面通行だけど、Gower St.は北側から中心部へ、またTottenham Court Rd.は中心部から北方向への一方通行の道路。

下宿の近くからGower St.を通るバス(29番)に乗ったのだが、日中は渋滞したためか、左上のHampstead Roadを南下するバスはどれもEuston Rd.と交わるところで運転終了。その後バスを乗り換えてGower St.を通ったのだが、酷い渋滞で全く進まない。ロンドンの中心部に平日の日中に乗り入れる車は「渋滞税(congestion charge)」8ポンド(約1,600円!!)を払わなければならない(ただしテロのあった7日(木)と翌8日(金)は免除された)のに、結構な数の車が走っている。最近のロンドンは暑いのですよ。クーラーのないバスの中でうだりそうになる。

帰宅時は、今度はTottenham Court Rdで、本来ならWoburn Placeを走るはずのところこの通りに迂回しているバス(91番)に乗車。Euston Rd.から二階建てバスと同じ高さほどの幕で閉鎖されたWoburn Placeをチラッと横目で見る。
そしてKing's Cross駅の前にさしかかる。地下鉄駅が閉鎖されているためか、歩いている人の数がいつもより多く見える。多くの行方不明の人を探すビラの数々が貼られている。広場になっているところには、花束が置かれ、冥福を祈る言葉が書かれたイングランド国旗も掲げられていた。昨日は、ロンドンで会議を開いていたイスラエルとパレスチナの代表団もこの場にきて冥福を捧げたとのこと。そのためか、中央に大きなパレスチナの旗があった。
この暑さ(といっても25、6℃ですが、ロンドンでは充分すぎる暑さなのです)の中、この近くで行方不明者の収容のための困難な作業が続けられている。亡くなられた人々の冥福を祈るとともに、現場の人々の努力に敬意を表して、黙祷を捧げた。

まだほとんどの死者の身元が特定されていない(現時点で二人目)のは、実際に特定が困難なこともあるだろうが、中に自爆犯が含まれていたためでもあったろうか。昨日は、テロを行ったと思われる若者の自宅を警察が捜索。今日(13日)までにほぼ全員の身元の特定ができたよう。懸念されていたように、英国籍を持つパキスタン系のイスラム教徒の若者であったらしい。

このような事件でいつも腹立たしいと思うのは、実行役が若者であることが多いこと。テロ組織の指導者達は、純粋な若者の心を利用して自爆犯に駆り立て、自分たちは生き延びる。その狡さに我慢がならない。

昨13日はイスラエルでも自爆テロが起きてしまった。自爆したのは18歳のパレスチナの若者。高校卒業試験がパスしたばかりだった彼がするべきことは、自爆テロの実行犯になることでなく、これから建設されるパレスチナ国家のため働くことなのに。ここでもまた、若者を利用する組織に怒りが湧く。
posted by M at 22:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | 海外生活
Tue,12 July 2005

お誕生日おめでとう

私が顔全体を大火傷した3つの時、隣の部屋で貴女が泣いていたのを覚えている。
その後の病院通い、今なら車で15分の所、当時車を持ってなかったので、わざわざ隣の市の駅までバスで出て、そこから一駅電車に乗らなければならなかった。私の手を引き、妹を背負い、臨月のお腹にやがて生まれる弟を抱えながら、出発寸前の電車を捕まえようとホームの階段を懸命に上り下りしたことを覚えている。
おかげで今の私の顔には、少しの火傷の跡もない。

30過ぎて、車の免許を取ろうと一念発起。夜遅くまで学科の勉強をして、でも仮免の実地で落ちて悔し泣き。早朝父に付き合ってもらって、一生懸命運転の練習をしていたね。
今は愛車のRav4の活躍の場が少なくて寂しいね。通勤と買い物だけでなく、たまには野山を駆け巡っておくれ。

私が考古学に興味を持って、「考古学を勉強して、化石を発掘したいなぁ。」と告げたら、「そんなことしたらお嫁にいけなくなるからやめて。」と泣いて頼んだね。今は全然別の道に進んでいるけど、結局いまだ結婚してない。ごめんよ、でも本人諦めてないから、気長に待ってておくれ。

実はさばけた性格で、一緒に『プロポーズ大作戦』を見ていて、「Mちゃん、大学生になったらフィーリングカップル5対5に出るのよ!」。残念ながら私が女子大生になった時には『プロポーズ大作戦』は終わっていた(『ねるとん』に出ろと言われなくてよかった)。

高校に入学した時、「さぁMちゃん、パーマをかけよう。ボーイフレンドを作ろう。」と言って娘をドン引きさせてくれた。反動で娘は校則を守る優等生の見本のような生活を送ってしまったとさ。

大学卒業前、下宿に電話をかけてきて、「Mちゃん、もうすぐ卒業式だね。」「うん(お、やっぱり娘の晴れ姿を見たいのかな)。」「お母さんディズニーランド行きたいなぁ。」目当てはそっちですかい( ̄▽ ̄;)!!
卒業式の翌日TDLに出かけたものの、3月には珍しい大雪で15時でTDLが閉鎖されるという前代未聞の出来事に遭遇。諦められずリピーターになって、7人の小人をしっかり入手していたねぇ。

私の最初の職場が東京ドームの近くと知って、「よかったねぇ、巨人戦が見られるね」。
その後私がヤクルトファンになり、オフィスビルが建て替えられるため青山の仮事務所に通うことになった時、「よかったね、神宮球場に通えるね」。私は仕事するために通ってたんですが(^_^;)A.

あんまり細くて軽いから、死海で浮けずに沈んじゃったね。頑張って太って、次の機会には浮いてね。

突然娘が留学したもんだから、「こんな歳になって英語を書くことになるとは思わなかった。」と言いながら、いっぱい手紙をくれたね。今は頑張ってemailを覚えて、時折天然性を発揮しながら、和ませてくれるmailをくれるね。

お母さん(と久々に呼ぶな、最近は皆ニックネームで呼ぶもんね)、
お誕生日おめでとう。
これからも元気で、頑張ってね。
中々親孝行できない娘ですが、いつかいっぱいしてあげるから、気長に待ってくださいな。
posted by M at 20:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なるままに
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