店主敬白
20日(木)−24日(月)、更新をお休みします。
25日(火)にまとめて記事をアップする予定です。
Tue,11 October 2005

芸術の秋−京極夏彦氏に捧ぐ−

どこまでもだらだらといいかげんな傾斜で続いている坂道を上り詰める手前にあるのが、目指すK 珈琲店(カフェ)である。
季節も深まろうかという秋の陽射しは、あまり柔らかいとはいい難い。坂の左側は陰になる樹木ばかりで、日が差す所がなく、傍らはただただくすんだ煉瓦の壁が延々と続いている。この塀の中にあるのが何なのかはわかっている。そこには、あの偉大な書物を残したマルクスも眠る広大な墓地が広がっている。しかし道に面したところにある建物は、どうみても私立中等学校(パブリック・スクール)である。墓地のそばに学校があるのは日本ではよく見かけるが、倫敦でもないわけではないらしい。
坂道には名前がある。が、月に二度程この坂を登って慈善(ボランティア)活動に通っており、もう3年になろうとしているが、その時も、名前を意識したことはない。幾度この道を通ったか知れない。
関君とは違って、家からその坂道に至るまでの町並みも、途中にあるあらゆるものの様相の記憶も、私には概ねはっきりしている。坂道の名前、住所地名はもとより、塀の中に何があるかも。
急に陽射しを感じた。気温は変わらない。
坂道の七分目辺りで私は息をついた。

私の家が既に坂の途中であるが、少し登ると地下鉄の駅があり、そこから坂はやや急になる。右側は住宅街であり、左側には大きな病院と教会を過ぎると塀が続き始め、それが切れたところをやや登った所で道は左右に分かれる。その手前辺りには郵便局の他、珈琲店(カフェ)や飲食店(レストラン)、花屋、不動産屋、文具店といった店がある。左右に分かれるところには、右側にまた別の私立中等学校(パブリック・スクール)があり、左側には飲食店(レストラン)や居酒屋(パブ)がある。右側の道の先は広い道路となり、お店は少なくなる。
そうするとK珈琲店(カフェ)のある辺りは、地区と地区との境界辺りに位置していることになるのだろうか。住所の上では隣駅の名と同じである。随分と駅から離れた所にあるので客は来るのかと思ったが、案外隣駅に近いようである。それより何よりこの辺りは高級住宅地であるから、駅の心配などせずとも、人はやってくるのであろう。

K珈琲店(カフェ)は今流行りの珈琲連鎖店(チェーン)の一つである。この店を指定したのは友人である。比較的空いている静かな店だからゆっくり話をするには良いと友人は言ったが、周囲にある何件もの同様の珈琲連鎖店(チェーン)同様にお昼過ぎは一杯である。それぞれ皆気に入りの店があるらしく、常連はそこでゆっくり午後の珈琲時間(コーヒー・タイム)を過ごしているようである。
友人はまた来ていないようである。先に伊太利亜式ミルク珈琲(カプチーノ)を注文し、入り口が正面に見える席を見つけて腰を掛けた。待つことしばし、友人が息を切らして店に入ってきた。「Hi」と手を挙げてここにいると知らせると、友人はこちらを見つけ、安心したようにカウンターで紅茶を注文したが、こちらを見ながらなので店員に聞き返されて、私とカウンターの中に視線をいったりきたりさせている。挨拶をするならする、注文をするならする。少し落ち着きたまえ。
「どう、調子は?」と、とりとめもない挨拶と近況を交し合うと、突然「お願いがあるんだけど」と、大きく膨らんだ鞄の中から一枚の紙を取り出した。「今度これを歌うんだけど、意味を教えてくれない?」と言って示したのは「月の沙漠」の楽譜であった。
これはまたえらい歌を選択したものだと思いつつ、「また歌の活動を再開したんだね。」と言うと、友人はニコリと笑って答えた。
「だって、芸術の秋ですもの」。

先日友人と待ち合わせした時、坂道を登りながらふと京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の出だしが浮かんだので、今回この文章にしてみたのですが...うーん、今ひとつパスティーシュになってない。何より肝心の薀蓄が全くないまま、描写と、登場人物にタイトルを言わせるというところだけ押えて終わってしまった(汗)。笑を取れる人間ではないのでパロディは無理だと思っていたけど、パスティーシュでもここまでか。あ、カタカナを漢字にしているのは遊びです。京極氏はこうはしない。

こんなものですが、謹んで敬愛する京極夏彦氏に捧げます(いらないかな)。

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posted by M at 17:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なるままに
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