店主敬白
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25日(火)にまとめて記事をアップする予定です。
Mon,20 June 2005

批評するということ

18日(土)に投稿したIsrael Philharmonic Orchestra(IPO)のBarbicanでの演奏についての批評が当地紙に出てきた。

The Guardian★★☆☆☆
The Times★★☆☆☆
The Independent★★★★☆

そんなにひどかったかなぁ。

The GuardianとThe Timesはいずれも、演奏前のスポンサーの宣伝の宣伝フィルムにチクリと苦言を呈している。演奏全般についても、「メータは、音楽にどんな解釈をしたかその洞察を加えるよりも、オーケストラの贅沢な音を楽しむことに満足していた。」(The Guardian)、「この誇り高きオーケストラがかつてこんなにも退屈な印象を与えた覚えはない。」(The Times)とけちょんけちょん。「平凡」「弱められている」「上品過ぎる」といった言葉が並ぶ。へぇ、プロの批評家が聞くとそう聞こえたんだ。「上品」ってのは私も思ったけど(とちょっと偉そうに言ってみる)

唯一The Independentだけが、「正確」という単語を並べて褒めている。「ヴァイオリン協奏曲も交響曲第7番にも、出だしで普段気づかない副次的主題に気づいた」、「交響曲第7番は、急がず、過剰に強調せず、またフレーズを甘やかす必要もなく高揚を微調整しうるアーティキュレーションの力強さを生み出している」。

聴く人によってこうも違うのね。7番は、指揮者によってはマラソン並みに早い曲になるらしいから、そういうものを期待している人とそうでない人の差、単純に好みの差なのかな。

何かを批評するということは、難しいのか、簡単なのか。人のしたこと、感じたことを、言葉だけで簡単にいってしまうことは容易い。それを安易にする「評論家」もどきが世の中にはいっぱいいる。
かつて勤めた職場で、作成した文章に手を入れる際ある上司が、「人の作業に手を入れることは、その人の労力の3分の1でできることだからね」と言っていた。私はその方の仕事振りを尊敬していたし、その方の訂正は、そういった仕事振りや経験に積み重ねられてなされるものだと思っていたので、素直に従おうことができた。でもそうでなくて、ちょっとした言い回しなどに不必要なケチをつけたり、ろくに仕事もしてないのに人の仕事に批判だけする上司の言葉には素直に耳を傾けられなかった(その人は案の定他の人からも耳を傾けられなくなっていった)。

例えば上のようなreviewで、彼らが長年にわたって音楽を鑑賞して、知識と経験を積み重ねて、それらを元にして批評する。その批評が的を射たもので、指揮者やオーケストラがその批評によって自分たちの演奏を見直し、更にいいものになっていく。こんな相乗効果があるなら、演奏者にも、聴衆にも良いことだと思う。でもそうではなく、批判せんとしてする批評は困る。実際に音楽を聴かず批評だけ目にした人は、その批評を鵜呑みにして、「メータもダメになったのか」とでも思ってしまいかねない。辛口の批評を好む文化背景もあるから、その分も斟酌するとしても。

スポーツ評論家、音楽評論家、文芸評論家、書評を物する人たちなど、世の中には「評する」ことを生業としている人がいるけれど、3分の1、いやそれほどまでの労力もかけずにただ思いつくままのコメントを言っているような人は、その浅さが読者や聴衆にいつか見抜かれるだろう。

ところで、日本では「ワイドショー」という不思議な番組で「コメンテータ」と称する不思議な人たちがいっぱい出てくる。人の所業をただ見ただけで思いついたことをいっている商売って本当に不思議だ。
posted by M at 19:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽:クラシック
この記事へのコメント
 ちょっと気分を変えて、こちらに遊びにきました〜ヾ(o・ω・)ノ

 批評するための批評って、確かにありますよね。
 お金持ちなのに、人様のお財布事情にくちばしつっこんで、ここ《節約》\_|´д`★| とか言う人とか。あ、ここが既に批評になってる。

 ところで、私はデーブ・スペクターさんが好きなのです。(あれ? デイブ? デープ?)
 大学で仏語を第二言語としてとっていたのですが、その教授が彼と「朝まで生討論」に出ていたらしいのですね。そしたら、始まって数分も経たない内に全ての人の名前を覚えていて、「今の○○さんの発言は」と名前で言って、ちゃんと背景とかも合わせて説明したり、反論したり、同意したりするのだそうです。だから、彼の発言は聞いてしまうのです。
 でも、やっぱりコメンテータて不思議な商売ってMさんの意見に賛成です(`・ω・´)
Posted by 樟葉 at 2005年06月20日 20:16
いらっしゃいませ〜。
早い反応にビックリ。
デーブ・スペクターの討論のしかたは、いかにも討論の国アメリカで訓練を受けたって感じですね。でも討論の姿勢としてまっとうだから、傾聴できるのかも。
実はワイドショーやコメンテータを「不思議」と言っていたのは彼(デーブ)。そういいながら出演して、カルチャーの差を洞察したり考えたりしてるんでしょうね。
Posted by M at 2005年06月20日 20:50
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