店主敬白
20日(木)−24日(月)、更新をお休みします。
25日(火)にまとめて記事をアップする予定です。
Wed,05 October 2005

リス

外出先から帰宅して裏庭へ。ネコのお墓に向かって「ただいま」と言う。

と、裏庭の奥の方で「がさごそっ」と音が。

ん!?もう生き返ったのか>ネコ。

裏の家との境界にある塀に登ったその生き物は...リスでした。

通常リスは臆病で、人間を見かけると逃げていってしまうものなのだけど、昨日は珍しく逃げない。こちらがじっと見ているのに。
やがて塀の上で、足を使って体を掻いたり、体のあちこちを舐めて毛繕いをしたり。合間にこちらをじっと見たり。
へぇ、リスってネコと同じような動作をするんだ。
体の後ろで体長より長い尻尾が揺れているのが見える。

やがてこちらを再度見たかと思うと、小刻みに震えながら塀の上を歩いていく。じっと見ていると、隣家との境界の塀の上に半野良のネコ(我が近隣で通称'mum cat')がいて、コイツにも怯えていたらしい。その手前で立ち止まってびくびくしている。
Mum catがリスに気を取られている様子なので、こっちに関心を向けようと、"tu,tu,tu,tu"と口を鳴らしてみる。
ん!?、とこちらを見るmum cat。
その間に、リスは裏の家にある、高く茂った木に飛び移り逃げていった。
Mum catはそちらを見やって、追うでもなく塀の上にじっとしたまま。
そのままにして、裏庭を離れた。

それにしてもあのリス、本当にネコが生き返ったかのようだった。
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Mon,03 October 2005

ユダヤ教の新年、イスラム諸国のラマダン月

イスラエルでは4日(火)、正確には3日(月)の日没から新年(ロシュ・ハシャナ(Rosh Ha'Shana)。日没からというのは、ユダヤ教では一日は日没と共に始まると旧約聖書に記されているから。ユダヤ暦では5766年ティシュリ(Tishrei)の月1日。
その後、13日(木)(12日(水)の日没から)がヨム・キプール(大贖罪の日)。この日一日、ユダヤ人は断食をして罪を悔い改める。イスラエルでは全ての交通も、TV・ラジオの放送も停止。
さらに、18日(火)から24日(月)(17日(月)の日没から24日(月)の日没まで)がスコット(仮庵の祭り)、25日(火)(24日日没から)がシムハット・トーラー(律法の歓喜祭、一年かけて律法を読み終えたことを祝う日)、新年のお祝いが続く。
因みに、新年と言ってもティシュリの月は第7の月。

おめでたい月なのだけど、ユダヤ暦の祝祭日にはテロに狙われやすいので厳戒態勢となる。この時期パレスチナ地域は閉鎖されてしまい、イスラエルに出稼ぎに出ているパレスチナ人は仕事に行けない。
イスラエル人に旅行先として人気の高いシナイ半島は、新年を前にして「テロの危険あり」と旅行中止勧告、既に滞在している人には引き上げるようにと当局が警告を発している。だけど既にシナイ半島にいるイスラエル人、一向に引き上げてなくて、国境の検問所はガラガラ。

[10月3日(月)8.15(GMT+1)追記]今朝のイスラエルのラジオ放送によると、数千人がシナイ半島をでて帰国した模様。

他方イスラム諸国では、4日(火)からラマダン月の「予定」。「予定」とは、イスラム暦(ヒジュラ暦)は太陰暦で、肉眼で月の満ち欠けを見て判断されるところもあり、国によって1日ずれたりすることもあるので。ラマダン月は、日中は断食しなければならないけど、夜はその分お祭のようにご馳走(イフタール)を食べるので、実はこの時期が一番食材が売れて、エンゲル係数も上がるらしい。仕事時間も短縮されたりする。断食と言っても、病人や妊婦などは免除されるし、この時期できなくて別の時期にすることも許されていて、とてもフレキシブル。友人のお父さんは、ラマダン月にはきちんとタバコもやめてたけど、日中だけじゃん、そのまま禁煙すればいいのに、と思ったのだけど、それはできなかったらしい。
こちらイスラム暦では、ラマダン月は第9の月。因みにラマダンとは「断食」という意味ではないのであしからず。

ラマダン月にジハードで亡くなるとよりアッラーの祝福を受けるということで、この時期テロを起こす危険が高いと言われているけれど、バリ島では既にテロが起こってしまった。ラマダン月の前にも実行するのか。このタイミングは何を狙ったんだろう。

ところで、3日(月)の午前中、北大西洋からアフリカにかけて金環食が見られます。イスラム教では、日食は不吉なものとされてて、以前中東で日食が見られた時は、国を休日にしたところも。我々がはしゃいで日食を見ている最中、イスラム教徒はカーテンを締め切って怯えていました。その怯え方は、正直(これほどまで)、と驚くほどで、彼らの日常や考え方にいかに宗教の教えが深く根付いているかを知らされた気がしました。

[参考]
・ユダヤ暦について イスラエルの休日 (在日イスラエル大使館サイトより)
・ラマダンについて Ramadan (BBC Religion&Ethicsのサイトより)
・金環食について Moon moves to make dazzling ring (BBC NEWS|Science/Natureのサイトより)
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Sat,01 October 2005

動物愛護精神に富んだ!?人たち

たまには柔らかい話題も。

動物愛護王国の英国には、王立動物虐待防止協会(The Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals: RSPCA)なる組織があり、動物が虐待されている、放置されている、などといった知らせを受けて現場に飛んでいくのですが、そんな組織が受け取った通報電話にはいろいろあって、その一部。

・「ソファの下に蛇がいる!」→TVのケーブルだった。
・「ネコが物干し綱に洗濯ばさみで留められているのが見えた」と心配そうな女性の声。→洗濯されたネコのぬいぐるみだった。
・「「ボドミンムーアの野獣(Beast of Bodmin)(M注:ネコ科の大型動物らしい。日本でいう化け猫かな)」が24時間戸口のところで寝ている」。→黒いプラスチックバッグに入った新版の電話帳だった。
・怪我をしているカササギの様子を見てみようと近寄ってみたら、白黒のジョギングシューズだった。
・浸水した所に死んだ馬がいるとの報告。→厚板材だった。

そして
・ロンドンのあるアパートから、犬が捨てられていると大量の通報。→ベランダにいたのはぬいぐるみの犬。
toy.jpg 「おさわがせしてごめんなさい。」


[参考]
Cuddly toy sparks sick dog panic (CBBC|Newsround|Animalsのページより)
RSPCA (The Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals)
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Fri,30 September 2005

テロの爪あと

昨29日(火)、バスに乗って外出。バスの1階(bottom deck)左側最後列に座っていて、ふと窓の外をみると'BMA’の文字が(ロンドンは日本と同様、車は左側通行)。ええっと、BMAってなんだっけ、聞いた覚えが、と考えていてふと気づいた−ここは7/7のテロでバスが爆破されたところだ。
テロが起こってから79日目、初めての通過だった。
そこは道路左側がBritish Medical Association(BMA)の建物で、右側には小さな公園(Tavistock Square)がある。公園に目をやると、道路に面した角にいくつか花束が置かれ、ろうそくに火が灯されているのが見えた。犠牲者を偲ぶ人々が今でもこうして慰めのための供物を置いている。

静かに心の中で手を合わせる。

地下鉄テロがあった駅のうち、King's Cross駅周辺は、目的地への通過点であることが多いので時々バスから見るのだけど、事故直後の溢れんばかりの花やろうそく、メッセージがあった場所は、今は立ち入り禁止なのか、バスから見る限り何も見えない。駅の中にどこか供養のための場所が設置されているのだろうか。

あれから自分の中で変わったこと。以前はバスに乗ると2階(top deck)に座っていた。眺めもいいし、1階は体の不自由な人やお年寄り、そして荷物を多く持った人のために開けておくべきだと思っていた−これは、特にこちらでそう言われているわけではなく、M自身での線引きです。だけどテロの爆破が2階で起こったこと、そして7月末に近くで起こったバス内での殺人事件でも、2階でトラブルがあったことから、できるだけ運転手の目の届かない2階は避けようと思うようになった。
昨日の帰路は、1階がいっぱいだったので2階に上がったのだけど、途中で突然下から大声が聞こえたので、(すわ、喧嘩?)と身構えてしまった。よくよく聞いてたら知り合い同士が会ったらしい。
ちょっと用心しすぎかな。
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Mon,19 September 2005

喫煙者に注意できるか。

先日、友人とコーヒーショップで待ち合わせた時のこと。先に店について席を確保し、友人を待っていた。と、背後からマッチをする匂いが。

くるり。

オヤジ英国紳士然とした男性がパイプをふかしていました。

でもこのコーヒーショップ、先月全面禁煙になったはず...と思ってサインを探すけど、遠くの壁に小さなものが一つだけ。こちら側の区画にはない。

間をおかずやってきた友人も、「ん!?」という表情。二人で、「ここ禁煙よね」と言いながら、ちらちら、時にはじーっとその男性と連れをみるのだけど、全く効果なし。
丁度お昼過ぎでお店はいっぱい。その界隈にはコーヒーショップがそこを含めて3件あるのだけど、ここが一番込まないはずなのに。

我慢して彼を背に座る。さほど煙たくはないけど、ルールを守らないというのが私も友人も気に入らない。
といっても友人は、とても物腰が穏やかで、こういう時注意するタイプでもないし、私も「言おうか」とはいってみるものの、今ひとつこういう場での異国のルールがわからないので躊躇し、結局言わないまま。

そうこうしているうちに、私と友人の打ち合わせにも熱が入ってきて、件の男性のことも忘れていた。その日は私がPCを持参して友人にいろんな音源を聞かせていて、大音量を発していて、もしかしたら私たちのほうがよっぽど迷惑だったかも。
しばらくして気づくと、コーヒーショップはガラガラ。

やがて
友人「あれは、この近くのパブリック・スクールの先生ね。」
M「そうなの!身だしなみが整っていて、ちょっとカラフル(ブルーのシャツに、黄色のネクタイ、ネクタイにコーディネートしたかのような、淡いブラウンのジャケット)だったから、マスコミの編集者かと思った」
友人「でもさっき、女子高生が来て彼らに挨拶していたのよ。」
M「(ああ、女子高生、入ってきてたな。)だったらなおさら、禁煙の場所で喫煙してちゃダメじゃん。」
友人「ホントよね。」

さてこういう場合、どうします?
私はその時の状況によって言ったり言わなかったり。
連れがいなくて、煙害が酷いと間違いなく文句をいいます。これは日本でも外国でも同じ。
友人がいると、揉め事になった時迷惑かけるとまずいな、と躊躇することが多い。

英国人も、こんな場合、はっきりいう人もいれば、黙っている人もいる。この辺りは洋の東西を問わず同じ。

つまりは、洋の東西を問わず、難しい問題ってことなのですね。
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Wed,07 September 2005

animal loverが減っている。

私、blog内にFlash素材やJava Scriptを利用したものは極力おかない主義です。バナーも直リンクはしないようにしてます。こちらにいらっしゃる方皆様が高速環境ではないですから(そういう本人もダイヤルアップ←今時、ですが)。

でもこのコ(左サイドバーに注目)の可愛さには負けました。主義を曲げて、blogのマスコットとしておくことにします。
こちらで見つけたフラッシュ猫。名前は「すネコ」。もともとはオランダの迷い猫でMaukieというらしいです。
設定は、芳野さまの'The art of being'の記事を参考にさせていただきました。芳野さま、ありがとうございました。
姉妹(ミラー)blogNews Handlerには、双子の「Tango」がいます(黒猫なので「タンゴ」→'Tango')。
どうかカーソルを持っていって、遊んでやってください。

#左サイドバー、伸びてしまったなぁ。これも主義を曲げて両サイドバーのテンプレに変えるべきかな。

丁度昨6日(火)朝のラジオのニュースで、最近シェルターに運び込まれる動物が増えてきた、というレポートをしていました。ここ英国では、NGOが迷い犬、迷い猫、捨て犬、捨て猫といったものを引き受け(シェルター)、里親探しをします。ロンドンではBatterseaにあるBattersea Dog Homeが有名。'Dog'とありますが、猫も扱います。以前この下宿のある一角の駐車場に野良猫が住みついて4匹の子猫を生んだ時は、近所で相談してこの近くにある猫のレスキュー・センターのようなところに連絡し、引取ってもらいました。今頃あの子達は、ちゃんとした家に引き取られて幸せになってるはず。

動物愛護で有名な英国、動物のいない家は殆どないくらい。躾もきちんと行われています。ホームレスも、身の危険を守るためか大型犬と一緒にいることが多く、その犬たちに餌をやるボランティアを見かけることもあります。が、最近は安易に捨てる人も多いとのこと。この近くでも野良猫をいっぱい見かけます。野良猫なのでオスもメスも避妊手術をうけておらず、それらが子猫を生んで増えていっているよう。「残念ながらanimal loverが減ってきているよう。動物を飼う際は、14,5年は付き合うのだという覚悟で望んで欲しい」とシェルターの職員が言っていました。その声の後ろでたくさんの犬の鳴き声が聞こえていました。彼ら彼女等に、素敵な終の棲家が見つかりますように。
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Fri,02 September 2005

Sクンの未来に乾杯!?

昨1日(木)、ブログへの更新ができませんでした。
思うところあって、意図的にネット接続をoffにしてました。
ネコが逝っちゃって3週目、っていうのが一番大きな理由です。特に彼女が苦しみ始めて亡くなるまでの時間は、いろいろと考えてしまいます。先週、先々週は偶々大家さんが夏休みで家にいらして、他人がいるとなるとさすがに動揺はしても落着いてなければとなれますが、先週末から大家さんがお出かけ中で、昨日は1人だったのでやはり動揺していたわけで。この「毎週」ってところが、やはり仏教の影響なのかな、自分は日本人なのだなぁと思う。当地でお世話になっている某婦人(日本人)が、ご主人が日曜に亡くなられて、以来日曜は何もせず家で静かにしている、と仰っていた気持ちが今になってわかるMです。

もうひとつは、後輩のSクンが日本に帰るってんで、その前日の水曜夜、我が下宿でパーティを開いたこと(こういう点、ウチの大家さんは実に寛容)。そこで、以前にもウチに来て、まだ元気だったネコと遊んでくれた友人とそのパートナー氏が、到着してすぐネコにお参りしてくれたこと。これで心にかけていた箍がはずれてしまったのか、皆が帰ったあと、庭に眠っているネコのところで久々大泣きしてました。

さて、パーティ。
こういう時は一般に「送別会」と言うのだろうけど、私はあえて「次の世界へ向けての壮行会」と呼びます。送別された側だって、いつまたその地に帰ってくるかもしれないし、お互い世界のどこかでまたいつか会うかもしれないし、何より旅立ちって次へのステップでしょ。
メニューは、私のことでして、いつも通り中東系料理。実は味噌カツを作りたかったのに、先日あちこち探したのに赤味噌が手に入らなかった(もうロンドンでは赤味噌は手に入らないのだろうか)。なので純粋に中東料理に。前菜にナスのペースト、サラダ4品にコフタ(トルコ風ハンバーグ)を考えていたけど、サラダ1品が作れず。さらにメインも肉料理2品を考えていたのに1品作れず。段取り悪くてごめんなさい>ALL。しかもホステス自ら飲んでたし。取って置きのワイン(モルドバの1988年もの)を出したことでご勘弁を。
この夜の宴のあと、6人でビール12本(大瓶ではない)、ワイン5本、日本酒1/3本...。
皆が無事に帰って何よりでした。

心配なのは、Sクンからメモリスティックをなくしてしまった、と連絡があったこと。論文のデータが入っているだろう貴重なもの。残念ながら我が下宿では見当たらず。もしかしてバスかもと、一応ロンドン交通局に遺失物届をしておいたけど。今頃機中の人のSクン、どこかからひょっこり出てくるといいね。
とりあえずは英国での1年、お疲れさまでした。まだ論文を提出しないとならないけど、とりあえずは日本で美味しいものをた食べて、お風呂にゆっくり使って、疲れを癒してください。
今後の活躍を祈ってます。
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Mon,29 August 2005

連休恒例の...

8月最終週の月曜はBank Holidayという英国の休日。夏が終わる前の最後の三連休。大抵の英国人はこれに休みをくっつけて最後の夏を謳歌する。大家さんは娘さん一家と友人と、毎夏恒例、海辺の貸し別荘へ。英国人の友人たちは田舎の両親のもとへ。その他にも小旅行に出ている人が多い。人も車も少なく、ウチの近所も出かけているところが多いのか駐車場はガラガラ。Newsでは、毎年この連休に行われるNotting Hill(ヒュー・グラントとジュリア・ロバーツの映画で有名になったところです)でのカーニバルの盛り上がりを伝えている。

天気も、幸いこの日曜から真っ青な空がひろがり、時折綺麗な飛行機雲。気温は25-6℃だけど、風邪が冷たく、それほどの暑さは感じない。どちらか遠いと秋の気配。

いつものBank Holidayの風景。1人、静かだな、と時間をゆったりと楽しんでいたところにそれはやってきた。

23時。その前にもわさわさと人の声がしていたが、突然東側の裏の家から大音響と共に音楽が。そーだった、この家は

いつも連休の夜中にパーティを開くんだった(>_<)

これも「恒例の...」。こんなものはいつもあって欲しくないけど、これがほぼ一晩中続く。以前は夜中の1時に花火を打ち上げ、さらに音楽が朝5時頃まで続いたことも。今回も、あまりの騒がしさにベッドに行って布団を被ったけど、そんなものききゃしない。あぁ、これが朝まで続くのかぁ、他のご近所はうるさいと思ってないのかなぁ、あ、皆いないのかぁ、うちも両隣いないし。あそこんち、子供もいたはずで、犬かネコもいたはず。動物もいい迷惑だよなぁ、などととげんなりしながら思いを巡らしていたのだが...。

午前1時、なぜかぴたりと音楽がやんだ。

ホッ。

まだ人の声はするけど、これ位なら耐えられる....zzz

安心して寝てしまいました(^_^;)A。

幸いだったのは、同様にいつもパーティをする北側の家が、なぜか今年はやらないこと。ここんチ、広いベランダでカラオケ大会やってくれるのだ。英国人もカラオケするんですよ、皆さま。

因みにロンドンでは、23時以降うるさい音をたてちゃいけないはずなんですが。

まぁ、「いつもの...」が、比較的抑え目に終わってよかった。
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Wed,24 August 2005

Sゼミ英国支部OB・OG会 in London 2005夏!

↑「ザ・ベストテン、in ××」のノリで(世代がばれる^^;)。

なんと偶然にも、大学の同じゼミ出身者が私を含め6人も英国にいることが判明。ここんとこ世話になりっぱなしの友人と昨年教授から連絡があった後輩とは、頻繁に会い、連絡も取り合っているけど、6名とは。広い世界で嬉しい話。で、教授から「是非OB・OG会を開催するように」。年長ということ、ゼミ現役学生の頃から事務方的役割をすることが多かったということで、不肖M、幹事を務めさせていただきました。

我がゼミ、学部内でもそれなりに有名。勿論勉強面は厳しくて、週1のゼミの他、これに備えたサブゼミをグループごとに行わなければならないし、レポートも多い。卒論は必須(学部では必須としていない。しかもこれが教授の主義で、長いこと手書き提出だった)。おまけに春夏冬と年3回の合宿(私は2つある教授のゼミ両方に出席していたので、年6回合宿。でも私たちの頃は数名そんなゼミ生がいた)。合宿先では教授の音頭の下、避暑地の中を山登りにも似たサイクリング自転車漕ぎ。体力知力両方要求される厳し〜いゼミだったのだ。でも我がゼミを有名たらしめているのは、実はその酒盛りの派手さ。コンパや合宿での飲み会には、とてもここでは書けない逸話がいっぱい。合宿の朝には、布団などはぐちゃぐちゃで、各自の枕もとには洗面器が並ぶし、あまりの暴れように出入り禁止となった施設も数々。飲み会ではビールの注文はケース単位。居酒屋の通路にケースに入ったビール瓶が置かれ、それが瞬く間に消えていく。ゼミの人数は、3,4(5)年あわせて40から45名というところ。ここでお酒を覚えました>M。2年まで飲めなかったのよ!ホントに。私の大学3,4年の時間の殆どはゼミと3年次に始めたサークル活動で占められていたなぁ。

#上記を読んで「私そのゼミ出身かも」と思い当たった方、連絡お待ちしてます。

そんなゼミでも無事社会人になり、あるいは学業に戻るものあり、それぞれの道、それぞれの場所で活躍していて、今回は英国で6名が集うこととなった次第。

友人と飲む時はくだけた感じだけど、昨夜は初対面の人もあり、我がゼミ卒業生とは思えぬ大人の飲み会。それでも現役時代の話から、やがて現在のそれぞれの仕事や学業、生活の話などなど話が広がりました。同じ師の下で薫陶を受けても、今いる業界(学究者も含め)は異なるので、それぞれの世界の話を聞いているのは面白かった。同じ異国で暮らす者同士、心を開いて話せる場でありました。こんな時間が過ごせるのは、それぞれ代は違ってもゼミで充実した時間を過ごしたからであり、そんなゼミを長年厳しく、そして暖かく指導してくださっているS教授、伝統(!?)を築いてくださった諸先輩、同輩たち、そして今頑張っている現役諸君、皆の健康と活躍を祈って何度も乾杯を重ねた夜でした。

個々人との連絡から始まり、ゼミ生同士の紹介、そして会の開催にあたって開催の辞までいただいたS教授、本当にありがとうございました。
またかつて在英された諸先輩からも「懐かしい」と会の成功を祈るメールをいただきました。ありがとうございました。
そして忙しい仲集まってくれた5人の皆様、楽しい時間をありがとうございました。至らぬ点は幹事の不出来さに免じてご勘弁の程を。帰国予定の方もおられますが、また時間の許す限り会いませうぞ!

S教授は現在Harvardで研究中、実は我々と同じ昨23日(火)にニュー・ヨークで、今日24日(水)にはワシントンでのOB・OG会に出席される由。海の向こうでの会も成功していますように。
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Sun,07 August 2005

Great British Beer Festival

金曜の夜は、Olympiaという展示場で行われたビール・フェスティバルへ。
広い展示場に、英国中のBreweryがやってきてブースを設置。そこへビールを飲むためにやってきた大勢の客がいっぱい。これだけの人が飲むためにやってきてる!我々も、太鼓腹のオヤジ、オバサンの集団や、出来上がっているサラリーマンの中へいざ突入。

入場者は入場料を支払い、さらにグラス(pint(0.57L)、もしくはhalf-pint)をデポジットで購入(後で返却すればお金は戻ってくる。私は記念に持ち帰り)。これを持って回って各ブースでビールを買って飲む仕組み。
基本的にはaleを普及するための催しのようだけど、勿論他の種類も販売されている。

私の酒量は2.5pint+α。αってのは、友人が買ってみたけど口に合わないと言ったビールを貰ったのと、会場で知り合った英国人に各ブースを案内してもらって、その時私がグラスを空にしていたら、自分の分をくれたので。約3pint、1.5-7Lってところかな。いつも3-4pint。えっ、飲みすぎ!?
この男性、最初は私たちが集まって飲んでいるところにやってきて、酔った勢いでなのか、「どう?美味しい?楽しんでる?」と尋ねたり、日本のビールとの違いなど話してくれたのね。それがあんまり面白いんで友人たちと目を輝かせて聴いていたら、「美味しいビール飲みたい?じゃあ案内してやろう。」ってことに。各ブース巡りと飲み比べ。この間彼は真面目に、丁寧にいろいろ説明してくれた。
実は某有名ビール会社のengineer(engineerってのがよくわからないけど、蒸留担当の技術者ではないかと思う)で、世界中あちこちのビールフェアに行っては飲み比べたりしてるんですと。幸せなオシゴトだこと。その太鼓腹はその成果だね。つい最近自分の仕事に関係する試験があって、それが終わったところだからか、よけい知識も豊富だったよう。おかげで、数多あるブースの中で、確実に美味しいところへ。彼のお薦めのIsle of Manのビールが飲めなかったのは残念だった(売り切れてた)けど、ScotlandやYorkshireの美味しいビールを味わうことができました。
友人ともども、今後のkeep in touchを約束してお別れ。

で、帰りに展示場の駅から一駅乗って、別の路線に乗り換えようと地下鉄を降りると、目の前に彼が。地下鉄路線図を見ながら唸ってる。「最終電車行っちゃった...」。わぁぁ、悪いことしたぁ。終了の 23時近くまで、真面目に案内してくれたもんなぁ。
慌てていたにもかかわらず「キミたちはホントcuteだったよ。絶対keep in touchだからね」とcheek kissをしてから別方面のホームへ行ったけど、無事帰宅できたかな。心配。

[参考]Great British Beer Festival公式サイト

[8月8日(月)追記:私が飲んだビール]
Brewery--Beer(Alcohol)--District
1.Kains--Finest Bitter(4.0)--Merseyside
2.Wychwood--Hobgoblin(5.9)--Oxfordshire
3.Thrakston--Old Peculier(5.6)--North Yorkshire
4.Broughton--Clipper IPA(4.2)--Borders
5.Sharp's--Doom Bar Bitter(4.0)--Cornwall
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Thu,28 July 2005

ウナギ食べたい!

ロンドン、ずっと雨が続いて肌寒いです。室内では長袖にカーディガンを羽織ってます(勿論クーラーなんてありません)。
とはいえ先週まではそこそこ暑かったし、バテ気味。やっぱり土用の丑の日、と思うと、ウナギが食べたい!
でも、ロンドンで蒲焼なんて夢のまた夢。日本食レストランや食材屋に行けばあるかもしれないけど、高いだろうし、そこまではできない。

英国では「夏バテ防止のため」の食べ物、といった発想がないのですよね。以前英国人に尋ねてみたら、首をかしげて「うーん、以前は夏はそれほど暑くなかったからねぇ」。そうだよな。

蒲焼はないけど、ウナギはあるのです。ただ、私の周辺は皆食べたことがないらしく、具体的にどんなものかよくわからない。煮凝りのようなものらしい。ある知人曰く「ロンドンの東部地区で、パブでつまみとしてよく出される」とのこと。ロンドン東部地区は2012年のオリンピック会場になるのだけど、ロンドンでは貧困な地域、労働者階級が住む地域とされている。彼女が続けて曰く、「労働者が栄養をつけるために食べる食べ物」。
「確かベッカムはそれが好きだって言ってるのを読んだことあるんだけど。」
「そうね、彼はあの辺りの出身だから。」
(いつも会話の中で階級意識が見え隠れするんだよな、英国人って。)

ユダヤ教では背骨のない魚は食べられないので、ウナギは食べてはいけない食べ物とされていた。ところが数年前、「ウナギの体の中央にあるのは背骨」という説が出て、ユダヤ教徒もウナギを食べられるようになるかもしれない、というnewsを読んだ覚えが。その後どうなったんだろう。ウナギ食べてるのかな。

こんな記事を見つけてとっても心配。ウナギの完全養殖ができないとは知らなかった。土用以外にも我が家では頻繁に食卓に上ってたんだけど、贅沢なことだったのかも。

でも、やっぱり食べたい...。
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Mon,25 July 2005

King's Crossで記帳。

先日、King's Crossでバスを乗り継いだので、追悼場所となっている駅前東側の一角にある広場に行ってみた。
夜23時頃だったが、大勢の人が訪れていた。溢れるほどの花の匂いが交じり合って香ばしいほどだった。
壁にはそれぞれ思い思いの気持ちを込めたメッセージが各国語で張りだされていた。国旗にメッセージを書き込んだものもあった。S県S市の消防署員と思われる方のメッセージの書き込みがある日の丸もあった。今回のテロでは救出に当たった治安関係者、消防署員、医療関係者の活躍が賞賛されているが、ロンドンは、1666年の大火以来火事にトラウマ的な恐怖心を持つ街だから(日本は地震、雷についで三番目ですね)、特に消防署員は日頃からとても尊敬されている。そんな方々を労ったメッセージだった。
広場を出た横には、簡素な机の上に一冊のノート。記帳はロンドン市役所で行われているだけかと思ったらここでもできたんだ。早速列に並ぶ。列にいたのはいろんな人種、宗教の人々。イスラム教徒もいた。お互い日頃から人々が自然にしているように、目を合わせて軽く会釈する。「キミも来たんだね」「そう、貴方もなのね」「大変だったね」といった思いが交錯する。
ノートにも世界各国の言葉で追悼の文字。記帳できるとは思わなかったので、心構えも、気の聞いた文言も浮かばず、日本語と英語で冥福を祈る言葉を綴ってきた。
終了後、横に立っていた二人の警官に会釈。駅周辺の治安と、この記帳の場所の治安のためにいるのだろう。花が置かれた広場と記帳の場所は、朝7時からmidnight(24時)まで開いている。その間警察官も立ち続けているわけで。ご苦労様です。

24日(日)、7日(木)のテロの犠牲者の家族、友人らが現場を訪れた。Edgware RdとAlgate両駅はホームまで、バスが爆破されたTavistock Sq.近くは現場までいけたそうだけど、また作業が続くKing's Cross-Russell Sq.間は中に入れず、駅の外までの訪問だったそう。犠牲者が多かった分、この現場を訪れた家族、友人が最も多かったとのこと。
まだ行方(遺体)が特定されてない人も多い。この方々は何処で気持ちの整理がつけられるのだろう。

[参考] Relatives visit four bomb scenes(BBC News|UK|サイト)
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Sun,24 July 2005

テロ−7/21ロンドン、7/22シャルム・エル・シェイク, and elsewhere

21日、ロンドンのテロ未遂の事件が起きた場所の詳細はThe Times、7月22日付けの記事に詳しく示されている。この図で色のない爆発の印が7月7日に爆発があったところ。数字が降られているところが、21日に避難騒ぎや小爆発などがあったところ。22日にテロ犯と間違われてブラジル人が警官に射殺されたのは図で2番となってるOval駅の隣のStockwell駅。
当初場所を聞いたときは、丁寧に東西南北を狙ったな、また前回よりマイナーな場所だな、という印象。大きな駅だと警戒が厳しいと思ったのか。よく見ると、南のOval駅以外は7日の現場からそれほど離れていない。同じようなところばかり狙っているのは、土地カンがその範囲なのか。
昨23日(土)のラジオからは、怪しいものを見かけた場合の情報提供のための電話番号と、シャルム・エル・シェイクでのテロを受けた身内や知人の安否確認のための電話番号が繰り返し流れた。
日常生活を、とひっきりなしに政府が呼びかけ、人々も口にしている。いつも通りの生活をし、買い物に出かけ、友人と会い、ホリディに出かける人々もいる。でも7日のテロの後に比べたら確実に非日常が居座り始めた気がする。
例えばテロについて語る時。お互いを気遣い、「頑張ろうね」という口調から、「一体何が起こるのかわからない」という内容に変わってきている。
例えば地下鉄の運行状況。
正常な時の地図はこちら
現在運行が止まっている路線の地図がこちら
いつもどこかで"engneer work"をしていたり"staff shortage"だったりで、まともに地下鉄が動いていることがないロンドンだけど、この状況は確実に「異常」。
"normal"という言葉が聞かれなくなってきた。

でもロンドンだけじゃない。
今月に入ってトルコもきな臭い。散発的にテロが起こっている。
22日(金)のシャルム・エル・シェイクでのテロはかなり大規模だったようで、死者を含む被害者の数が大きい。ただその大多数(現地時間朝の時点で死者88人中外国人犠牲者が7人と報道)が自国民だというのは解せない。一体何を目的としてのテロなのか。ムバラク政権を揺さぶりたいのか。このテロについては、パレスチナのハマス(欧米からテロ組織と位置づけられている)も非難声明を出している。「このようなテロはパレスチナ国家樹立の戦いを阻害する」。
[参考]シャルム・エル・シェイクは、日本からは遠いのでなじみのない方も多いかもしれないですが、エジプトのシナイ半島にある紅海きってのリゾート地。世界中の一流ホテルが林立しています。海は世界一透明度が高いとも言われ、ダイビングのメッカでもあります。ヨーロッパだけでなく、アラブ諸国からイスラエルまで人々がホリディを楽しみに来る場所。観光が大きな産業のエジプトで重要な位置をしめています。

従来テロといえば、民族闘争、支配からの独立、国家樹立ということが大義だった。今のテロはこれらとは確実に一線を画している。組織も従来の確固とした形でなく、まるでインターネットのウェッブのように小さな細胞が各地にできている。彼らを繋ぐものは本当に原理的イスラム主義なのか?ここまで過激な行動に出て、達成したいことは何なのか?イラクからの米軍を始めとする諸国軍の撤退?ならなぜ同胞を狙う?
これらの報道に隠れているけど、毎日イラクでも大規模なテロが起こっている。そこで犠牲になっているのは、駐留英米軍兵士以上に、圧倒的に市井のイラクの人々。
敵が見え難い、大義が見えない。わかりにくい。だからこそ今のテロは怖い。
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Sat,23 July 2005

フランスへ−その3:2日目後編、ParisにてThe Da Vinci Codeをたどるの巻

1.21日午後、Paris、St Sulpice(聖シュルピス)教会
St German辺りもしょっちゅうウロウロしているのに、この教会にきたのは初めて。St German des Presからも直ぐ。思ったよりも大きな教会でビックリ。実は有名な教会らしい(帰宅して大家さんに話したら、何十年も前に訪れたことがあるとのこと)。入って右手にドラクロワの巨大な宗教画が3枚もある。左手にはトリノの聖骸布の写しが2枚。各窓は、周辺は普通のガラスで、中央部にステンドグラスで聖人が描かれていて、フランスにしては割りに地味。中央には幼いイエスを抱く聖母マリアの像。日時計(グノモン)は教会内の中央部左にどっしりと立っていて、その前に子午線が引かれている。そこにあった説明文(日本語あり)には、「この線は『ローズライン』という呼び名で呼ばれたことはありません。」(笑)。シラスが取り外した岩がどれかわかりませんでした。

2.Musee de I’Orangerie(オランジェリー美術館)
未訪で訪れたかった場所のひとつ。でもこの美術館、当初の予定では2002年に修復が終わるはずだったのでは?まだ終わってないよー。2005年中には一部見られるようになるとの情報もあるけど、どうなることやら。

3.Godiva、パリ店
私はGodivaのEvening teaが大のお気に入りなのだけど、ロンドンでは2001年頃から売られなくなって、2年半前パリに行った時に買いだめしてきた。で、今回もと出向いてみたら「7月31日まで改装工事中」(大泣)。

4.Musee du Louvre(ルーブル美術館)
ここまできたら近くだし、本格的にThe Da Vinci CodeをたどってみようとLouvreへ。実は17年ぶり。前回は日曜でただで入場できたのだけど、確か半日しか開いてなくて、近代の仏絵画や、オランダ派、ドイツ派絵画を見られなかったのでそのリベンジも。ところが最上階へ行く階段に全てロープがかかっている。(?_?)と美術館の学芸員に尋ねると「毎週木曜は最上階の一部は閉鎖されるのです、マダム」。またドューラーの自画像が見られなかった(大泣)。
それでもフランドル派の所は開いていたので、レンブラントの自画像をいっぱい堪能できたし、フェルメールの絵も2枚見られた。私の「人生のやりたいことリスト」の一つは「レンブラントの自画像を全部見ること」。これでLouvreの所蔵分も押えたぞ、と。
で、モナ・リザ。2005年4月から展示室が変更になってた。The Da Vinci Codeの世界と絵の配置が変わっちゃったよ。モナ・リザの向かいには巨大な「カナの婚礼」の絵が。映画の撮影はどうするんだろ。以前の場所(ドゥノン翼奥のイタリア絵画の間)にあることにするんだろうな。
一通り絵を見てから、1階のリシュリュウ翼とシュリー翼でハンムラビ法典などのメソポタミア美術、それにエジプト美術と古代ギリシャ美術(ミロのビーナス)を堪能。大英博物館もすごいけど、ルーブルも凄い量の世界各地から収集した盗品美術品。建物の柱といった巨大な石の建築物を見ているとどうやって運んだのか不思議。当時は船しか輸送手段がなかったはず(現代でも飛行機に乗せられる代物とは思えない)。海の底に沈んだものもあるのかも。各国とも自分たちの国の美術品を返して欲しいんじゃないかと思いつつ、鑑賞する側としては、一箇所で世界中の見事な美術品を見られるのはありがたいし、ルーブルにあるからこそここまで保存状態も良く、また研究も進んでいるのではないかと思うと、フランスの文化への貢献に敬服。
入り口のピラミッドと逆ピラミッドって場所が離れているのね。あんな騒々しいところに「あれ」はどうかと...。
[参考]
ルーブル美術館公式サイト
Dan Brown(The Da Vinci Codeの著者)公式サイト

5.Brasserieで軽く夕食。
その後は街の中をうろつき、目に入ったBrasserieでお昼兼早目の夕食。パリのレストランの夕食時間は19時から20時に開店なのだけど、今回は19時半までにチェックインしなくちゃならなかったのでディナーは諦める。仏語のメニューが読めないので、英語のメニューもあった店に入ってオムレツをたのんだのだけど、フランスにしては?な味。これだったらどこかでバゲットのサンドイッチを買って列車内で食べた方が良かった。カウンターの中でギャルソンと仕事を終えた女性が話してたり、地元のなじみ客が顔を出して一杯飲んでいったり挨拶だけしていったり、と、アメリな光景を見られたのは面白かったけど。
今回は英国を脱出して美味しいものを食べることも目的だったのに、食事は悉く失敗。残念。前回は市内のホテルに泊まってホテルのボーイにいちいち尋ねていったらどれもこれも当たりだった記憶があっただけに期待していたのだけど。やっぱり下調べと地元の情報が大切は大切だなと痛感。

6.21日夜、Paris〜London
20:13、フランスの夕日を見ながら帰途に着く。実はEurostarの2等席って、座席は硬いし、背もたれは動かせないし、足の部分は狭いしで、座りづらいし寝づらい。新幹線の方がずっといいですよん。21:47、London Waterloo Internationalに定刻どおり到着。英国への入国審査はフランス側で済まされ、Waterlooには何もないのだけど、出口のところに二人ほど入国管理官と思われる人物が立っていて、イスラム教徒らしき男性が呼び止められていたのが気になった(直ぐ解放されていたけど)。
Waterlooからはバスで一本で無事帰宅。まさかこの日にもテロ未遂があったとは露知らず…。
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Fri,22 July 2005

フランスへ−その2:2日目前編:Versailles

1.21日朝、Aeroport Charles de Gaulle〜Versailles
帰国する友人を空港で送り、空港内の連絡バス乗り場前で同様にバスを待つ若い男性と話す。てっきりフランス人かと思いきや、なんと出張で来たレバノン人。「日本人?仏語できないの?じゃあParisまで一緒に行こう。僕仏語話せるから」。そう、レバノン(エジプトも一部)では、第2外国語は仏語が強くて皆流暢に話す。
しかし彼、仏語は話せるし、しょっちゅう出張できていると言うわりには把握が弱い。バスに乗ったら「ここだよ」と次で降りる。待て、ここは隣のゲートだ。そこにある「駅」というサインは、この道を行った先に駅があるということだ(-_-;)。一応仏語は第2外国語で、会話はダメでもそれくらいの案内は読めるぞ。ということで慌ててバスに乗りなおす。駅についても、「こっちだよ」と案内してくれるけど、何度も確認しながら慎重に進んでいく。こっちは元来せっかちな性分で、ずんずん先に行きたいところだけど、親切に案内してくれているので無碍にもできず、ゆっくりと後をついていく。
それでも無事電車に乗車すると、建築家らしく建物の説明などしてくれた。と、我々の背後に座っていた若い男性が仏語で話しかけてきた。会話から察するに、スイス人で、TGVの乗換えを待つ間パリで時間つぶしをするつもりらしい。二人が仏語で会話するのを、どちらかが英訳してくれたり、3人で英語で話したり、と、しばし国際交流。レバノン人もカッコよかったけど、スイス人もジェフ・ファインズ似でなかなか。「ちょっとヤなことがあって、メキシコに1週間行ってたんだ」。それは失恋だね>青年。「テキーラいっぱい飲んだ?」「勿論。そこにも入ってる。」とバックパックのほうに目をやる。
やがて二人がそれぞれの駅で降り、私も一路Versaillesへ。途中電車を乗り換えたのがMirabeau(ミラボー)橋の袂の駅。橋を写真に収める。
ミラボー橋の下、セーヌは流れる そして僕達の愛も (by Appollinaire)
とアポリネールの詩の一節が出てくるのは良いけど、この詩はここまで。
実はパリにいると必ず頭に流れる歌はアニメ、「ラ・セーヌの星」のエンディングの歌。
♪ラ・セーヌは今日も流れる 花売り娘は知ってる 冬の後には 花咲く春後来ることを♪
アポリネールの詩が全部暗誦できなくて、「ラ・セーヌの星」は歌えてしまう私って...。
でもパリを散策する楽しみの一つは、セーヌ川にかかるたくさんの橋を訪れてそこからの眺めを楽しむこと。これで訪れた橋がまた一つ増えた。

2.21日昼、Versailles
フランスは5回目、パリも4回目だけど、Versaillesは初めて。フランス風の華美で虚飾が華々しい建物は実は苦手。それでも「ベルばら」世代として一度は見ておかないと、と今回足を伸ばす。到着してさっそく個人見学の列に並ぶ。と、そこに、日本人女性二人がいらして「入り口はここでいいんでしょうか」。姉妹であちこち旅行しておられるとのこと。年を重ねてから姉妹で旅行できるって素敵だな。「喧嘩もしますよ」と仰ってたけど。入場までの30分弱、楽しい時間を過ごさせていただきました。今頃帰国されているはず。良い旅でありましたように。地震は大丈夫だったかしら。
時間がないので当初から庭とトリアノン宮は諦め、宮殿のみ見学。
なんと鏡の間が修復工事中(2007年まで)。「板の間」でした(泣)。
それにしても派手だわ。これじゃ財政破綻もするわな。マリー・アントワネットの煌びやかな寝室で、以前行った処刑前の独房(Conciergerie、パリ市内シテ島にあり)を思い出す。この煌びやかさからあの薄暗い独房か。まさに天と地。
前日のChantilly城もそうだけど、窓が小さくて中は暗いし、換気が悪いのか、観光客が一杯だからか、空気がよどんでいて蒸し暑い。往時もここには着飾った老若男女が夜毎舞踏会などで集っていたわけで、当時はトイレがなくて外でしてたって言うし、女性は大衆をごまかすために香水をふんだんにつけてたって言うから、やっぱり空気は悪かったろうなぁと、妙なことに思いふける。
窓から見た庭はあまりにも広大。これは東京ドームいくつ分?でもなぜか感動が今ひとつ。
マリー・アントワネットが幼少を過ごしたウィーンのシェーンブルン宮殿を訪れた時、2階の窓から庭を眺めた時の風景は、いかにも眼下に世界が広がっているようで、「この世は全て自分のもの」という感慨がして、さすが世界を制したハプスブルグ朝、と思ったものだった。また英国のワイト島にあるヴィクトリア女王の別荘(Osbourne House)もやはり広大な庭があって、その先には海が、そして海の向こうには英国本土があって、海と本土が上手く借景のように取り入れられていて、窓からの眺めがやはり「この庭も、海も、あの本土も自分のもの。七つの海は自分のもの」という感慨にふけるだけの迫力があった。
ヴェルサイユも同様に広いのだけど、なぜかそんな思いに至らない。あまりにも計算された人口の庭だからか、ブルボン朝なんて所詮そんなもんだったのか。
面白かったのは「国民議会を紹介する博物館」。ヴェルサイユ宮殿内に、上院、下院が合同で憲法改正を討議する議事場があるのだ。こんなものがこの宮殿内にあるなんて知らなかった。往年の議員、議長や歴代大統領の肖像も展示してある(説明が仏語だけなので名前程度しかわからなかったけど)。世界の国会のコーナーには、イスラエルの国家樹立宣言があった。2年間イスラエルにいて、国家樹立宣言が行われた家(現在博物館)にも行ったのにこれは見たことがなかった。
煌びやかな宮殿本体よりもこの議事場が面白かったってのが私らしいところか。

[参考]
ヴェルサイユ宮殿公式サイト
コンシェルジュリー
シェーンブルン宮殿
オズボーン・ハウス公式サイト
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Thu,21 July 2005

フランスへ−その1:1日目、Paris〜Chantilly

友人がパリへ来るというので、息抜きにパリにでも行こうと待ち合わせ。

1.20日朝、London〜Paris
8:12Waterloo International発に乗り、11:47にParis Nord到着。ユーロスターの場合、チェックインは30分前、しかも北駅に着いたらホームをそのまま歩いて出るだけで入国手続きなどなし(ヨーロッパなので改札もなし)。料金(今回は往復で79ポンド(約15,800円))、所要時間も約2時間半と、東京−大阪間の新幹線にでも乗ったようなもの。朝早かったので、動き出したら直ぐ夢野世界へ。目が覚めたら車が右側を走っていたので、(あぁフランスか)と気づいた。

2.20日昼、Chantilly(シャンティイ)へ向かうも...
北駅で友人と会い、この日の目的地であるシャンティへ移動。友人は乗馬が趣味で、ここで乗馬博物館と馬のショーを見るのが目的。
ところが、北駅から郊外線(RER)に乗って目的地に直行するはずが、なぜか列車が途中駅で止まり、暫くしたら来た方向に引き返す。二人してお昼のバゲットをかじりながら(?_?)。私もネットで調べたし、友人がパリで滞在していたパリジャンの女性もちゃんと確認したのに。車内で英語のできる人(友人も私も仏語は片言)に尋ねると、列車はパリに向かっているので降りて乗り換えなければならないとのこと。次の駅で降りて駅員に確認し、下りの列車を待って乗ったがこれが目的地手前止まり。目的地のシャンティイとその日泊まるホテルがある隣町への列車は2時間後。しようがないのでtaxiを呼ぶことに。

3.20日午後、シャンティイ城とコンデ美術館、生きた馬の博物館(なんちゅう名前だ)見学
ホテルに荷を降ろし、待たせていたtaxiでシャンティイ城へ。いかにもフランスな古城。周辺の庭との調和が見事。中にある美術館は、持ち主だったオルレアン公の遺言で収蔵品が貸し出し禁止で、貴重な作品を見られる。しかしまぁ、昔の貴族ってどうしてこう絵画を一杯集めたんでしょうねぇ。壁一杯に所狭しと隙間なく並ぶ大量の絵を見てると息が詰まる。しかもフランスのお城って、窓が小さくて全体的に暗いし、空気が入れ替わってるんだかないんだか。このお城はいくつかの部屋で屋根をガラス張りにして採光に工夫を凝らしていたけど、それを1800年代前半に導入していたって所に領主の絵画へのこだわりを感じる。
見学後、生きた馬の博物館(Living museum of the house)へ。ショーは17時頃だと聞いていたのに16時半が最終。17時半からドレサージュが見られるというのでそれを待つことに。その間博物館の中を見学。馬の種類や人とのかかわりの歴史から馬具などさまざまな展示物が、元厩舎と思われる建物に一杯。ドレサージュのショーでは見事な馬の動きを堪能。
シャンティイ城をネットで調べたら、最近ここで結婚式あげるのがブームなんですか?そんな日本語のサイトが。
[参考]Chateau de Chantilly公式サイト

4.20日夜、夕食、そしてホテルへ
ドレサージュを見た後シャンティイの街へ。といってもちっちゃな村で、中心部のお店が並ぶ通りもホンの少し。村の庁舎に近いところにあったbrasserieに入る。店の外にずらっとテーブルが並び、向かい合うのでなく並んで座っているのがいかにもフランス風。まずはキール・ロワイヤルを飲んで、そのあとカランでハウスワイン。食べ物はオニオン・スープ、サラダ、ハム盛り合わせ、350gの牛(部位は忘れた)と盛りだくさん。友人は「フランスでデザート食べないと」といいつつ、さすがにたどり着けなかった。味はフランスにしては?だったけど、お店のギャルソン達が可愛くて、親切だったので○。taxiを呼んだのになかなか来ないのを気遣って、何度も問い合わせてはテーブルにやってきて「もう直ぐ来ますから」と言ってくれた。
やってきたtaxiの運転手は、「日本人?俺はユタカ・タケと友達だ。彼は去年1ヶ月ここにいて、俺の車に乗ってたんだよ」。やっぱり馬と縁の深い街なのね。
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Wed,20 July 2005

時差

私が今住んでいるところは、日本から8時間(夏時間のため。通常は9時間)遅れている。
この8時間と言うのは、とても微妙な差。
夜、一段落して、blogの文章を考え出す23時頃、日本では翌朝7時。一日が始まる時間。
大抵は、上手くまとまらないまま、一眠りして考えを発酵させようとベッドへ。その頃日本では大抵の学校、会社が始業し、社会が動き出す。
翌朝こちらが動き出し、朝食を取り、朝のnewsを聞き、新聞に一通り目を通し、一日が動き出す9時頃、日本では17時。学校や会社は終業時間に近づき(最も残業などがあるんでしょうが)、夜を迎える。朝と夜が全く逆。正確には逆ではないけれど、真逆の生活時間帯に感じる。丁度一日の1/3分違っているからか。

日本で朝起きた時、一日の始まりに新しい記事を読んで欲しいと思いつつ、実際の記事更新は日本の一日の活動が終了する頃。毎日ほぼ一定時更新というのはなかなか難しいですね。

もっと違う時間帯、例えば13時間差の米大陸辺りに住んでいる人たちは、日本との時差をどう感じているのだろう。
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Fri,15 July 2005

London in silence

昨14日(木)、正午から2分間の黙祷。車も止まり、乗っていた人々は車外に出て道路に立ち、またオフィス街では皆建物から出て黙祷を捧げた。大家さんの勤め先はオフィス街ではなく郊外の住宅地の一角にあるのだけど、ここでも同様に皆建物から出たそうだ。この建物の向かいにある住宅街の人々も皆家の外に出てきたそう。「とってもmovingだったわ」と大家さん。
ウチの周りは、ご近所で草刈機を使っている音がしていたけど直ぐに止んだ。本当に静かな時間が流れた。ラジオも止み、BBCからは時を告げるBig Benの鐘の音の後、さらに鐘の音が続き(これはBig Benだったのだろうか)、やがて音が止んだ。

(こんな静かな時間は、サッカーのイングランド代表が接戦で失点して負けた瞬間に体験することがある位。)

爆破されたバスの運転手が犯人たちに対し、「我々は決して負けることはない」。彼のバスには同僚の娘さんが乗っていて亡くなったそう。

「いろんな肌の色の人がいて、いろんな宗教の人がいて、それで自分もここにいる。それがロンドンだから。」と、トラファルガー広場にいた人のインタビューがラジオから聞こえる。そう、ここはそんな街。Live8の会場で、スコットランド旗を掲げる若者たちもいれば、ターバンを巻いて音楽にノッていたシーク教徒もいた。
ロンドンは、ここにいるだけでユダヤ教徒、イスラム教徒、シーク教徒、タイのお坊さんといった様々な宗教に、そして英国人だけでなく、日本人を始めとする他世界中の人々に会える所である。

イスラム教徒だけでも、パキスタン系、中東、アフリカ系と様々。アラビア語の授業ではいろんな出自の学生がいたけど、皆2世で、コーランは耳で聞いてて唱えられても、文字が読めないのでこの授業を取ってアラビア語を読めるようにしたかった、という学生ばかりだった。親の出身もエジプト、自身はフランス人で親はモロッコ系(でも顔はなぜか不思議にアジアっぽかった)等々。私が一番仲良くなった薬学系の学生は、親はソマリア出身。フランス人学生はヘジャブ(スカーフ)をしてなかったけど、他は殆どがヘジャブを付け、全身を覆うゆったりとした服装をしていた。でもその中は、カラフルなTシャツにジーンズだったりするんだけど。先生はイラク人で、彼女も世俗的なのか、服装は普通にブラウスにズボン(さすがにスカートは穿かない)。

ここはそんな街。だからこれからも寛容性を失って欲しくない。イスラム教徒だからといって疑いの目を、敵意を向ける動きもあるようだけど、それはごく一部の動きだろう。ここでは文明は衝突するものではなく共存する所のはず。今回の事件は、ロンドンの人々の結束を強くしているように思う。
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Thu,14 July 2005

テロから1週間。

今は14日(木)10:10am(GMT+1、日本時間18:10)。先週の今頃、既にnewsが異変を告げて、友人たちの安否確認に追われていた。先週は英国らしいどんより曇った日で、肌寒く、時折激しい雨も降っていた。今日は青空が広がり、最高気温は31℃の予想。
昨13日(水)までに、テロを実行したと思われる4人が特定され、また10名の死亡が公式に確認された。しかしまだ31名が行方不明であり、いまだ病院に収容されたままの重傷者も多い。

亡くなられた方と行方不明の方の記事(The Guardian)を見てみる。年齢も様々だけど、英国、いやロンドンらしくなのか、移民、そしてその2世と思われる人もいる。
ユダヤ教徒の女性とイスラム教徒の女性が写真で並んでいる。イスラエルのテロが怖いと言っていたイスラエル出身の女性が、不幸にもロンドンでバスのテロにあってしまうとは。King's Crossの爆発を逃れたのに、その後爆破されたバスに乗り合わせたと思われ、いまだ行方不明の女性もいる。
ポーランド人が多いなと思った。実際ポーランドからの移民は多く、私のロンドンでの一番の親友はポーランド出身だし、下宿に週に一度やってくる掃除人の女の子もポーランド人。昔友人が下宿していた家の大家さんもポーランド人だったな。いつだったかシティで勤めるポーランド人が通り魔殺人にあって亡くなったnewsもあった。これだけの人材が流出してしまっておくには大丈夫なのかと心配されてしまうほど。

ラジオが、先週の様子を伝えている。「最初は電気系統の故障だという一報だったのが、2つ目の爆発のnewsが入ってきて...やがて僕の人生で最も重大な出来事が起こった一日になっていった...」。

あと2時間。正午、この国は2分間の黙祷を捧げる。
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Wed,13 July 2005

テロ後、初めてロンドン中心部へ。

−引き続きお見舞いの言葉をいただいております。皆様本当にありがとうございます。−
−英国では、明日14日(木)、正午(日本時間20時)から、今回のテロの犠牲者のため2分間の黙祷を捧げます。−

昨日、初めてロンドン中心部へ出向いた。

[参考]テロ事件のあった周辺地図
右斜め上にあるのが、地下鉄が爆破されたKing's Cross駅。中央やや下にある青い部分はBritish Medical Association(BMA)の建物。この建物の前でバスが爆破された。BMAの前を走るWoburn Placeはいまだ通行止め。バスは西隣のGower StreetとTottenham Court Roadを迂回している。Woburn Placeは対面通行だけど、Gower St.は北側から中心部へ、またTottenham Court Rd.は中心部から北方向への一方通行の道路。

下宿の近くからGower St.を通るバス(29番)に乗ったのだが、日中は渋滞したためか、左上のHampstead Roadを南下するバスはどれもEuston Rd.と交わるところで運転終了。その後バスを乗り換えてGower St.を通ったのだが、酷い渋滞で全く進まない。ロンドンの中心部に平日の日中に乗り入れる車は「渋滞税(congestion charge)」8ポンド(約1,600円!!)を払わなければならない(ただしテロのあった7日(木)と翌8日(金)は免除された)のに、結構な数の車が走っている。最近のロンドンは暑いのですよ。クーラーのないバスの中でうだりそうになる。

帰宅時は、今度はTottenham Court Rdで、本来ならWoburn Placeを走るはずのところこの通りに迂回しているバス(91番)に乗車。Euston Rd.から二階建てバスと同じ高さほどの幕で閉鎖されたWoburn Placeをチラッと横目で見る。
そしてKing's Cross駅の前にさしかかる。地下鉄駅が閉鎖されているためか、歩いている人の数がいつもより多く見える。多くの行方不明の人を探すビラの数々が貼られている。広場になっているところには、花束が置かれ、冥福を祈る言葉が書かれたイングランド国旗も掲げられていた。昨日は、ロンドンで会議を開いていたイスラエルとパレスチナの代表団もこの場にきて冥福を捧げたとのこと。そのためか、中央に大きなパレスチナの旗があった。
この暑さ(といっても25、6℃ですが、ロンドンでは充分すぎる暑さなのです)の中、この近くで行方不明者の収容のための困難な作業が続けられている。亡くなられた人々の冥福を祈るとともに、現場の人々の努力に敬意を表して、黙祷を捧げた。

まだほとんどの死者の身元が特定されていない(現時点で二人目)のは、実際に特定が困難なこともあるだろうが、中に自爆犯が含まれていたためでもあったろうか。昨日は、テロを行ったと思われる若者の自宅を警察が捜索。今日(13日)までにほぼ全員の身元の特定ができたよう。懸念されていたように、英国籍を持つパキスタン系のイスラム教徒の若者であったらしい。

このような事件でいつも腹立たしいと思うのは、実行役が若者であることが多いこと。テロ組織の指導者達は、純粋な若者の心を利用して自爆犯に駆り立て、自分たちは生き延びる。その狡さに我慢がならない。

昨13日はイスラエルでも自爆テロが起きてしまった。自爆したのは18歳のパレスチナの若者。高校卒業試験がパスしたばかりだった彼がするべきことは、自爆テロの実行犯になることでなく、これから建設されるパレスチナ国家のため働くことなのに。ここでもまた、若者を利用する組織に怒りが湧く。
posted by M at 22:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | 海外生活
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