店主敬白
20日(木)−24日(月)、更新をお休みします。
25日(火)にまとめて記事をアップする予定です。
Sat,03 September 2005

「海辺のカフカ」

31日(水)夜のパーティに来てくれた友人が貸してくれたので一気読み。
4101001545海辺のカフカ (上)
村上 春樹

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4101001553海辺のカフカ (下)
村上 春樹

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2つの物語が並行して綴られています。一つは、15歳の誕生日を前に家を出て、高松に向かう少年田村カフカの話。高松で目当ての甲村記念図書館に行き、その図書館に勤める館長の佐伯さん、職員の大島さんと知り合い、図書館に住むようになる。4歳の時、母が姉を連れて出て行ったことがトラウマとなっている少年は、佐伯さんに母の姿を重ねる。
もう一つは、9歳の時に遭遇したできことがきっかけで、それまでの記憶を全てなくしてしまい、その後読み書きもできぬまま、60歳までひっそりと生きてきたナカタさんの話。猫と話ができるナカタさんは、近所の迷い猫探しを請け負っていたけど、ある事件に遭遇したことで、突然、西に向かわねば、という意識に目覚める。中野区から出たことがないナカタさんが、不思議な縁で人々の助けを借りて、ヒッチハイクで旅をする。最終的に道連れとなったのは、中日ファンの長距離トラック運転手の星野青年。ホシノくんは、おじいちゃんに似ているナカタさんの面倒を見るうちに、彼の不思議な旅に進んで巻き込まれ、高松までやってくる。
田中カフカが甲村記念図書館に惹かれるようにやって来て、そこで出会った人々との間で繰り広げられる出来事は何を意味するのか。秀才だったナカタさんが、9歳の時突然読み書き能力も失うほどになってしまったのはなぜか。今、高松まで来なければならなかった理由は何か。

実は村上春樹の文体は得意ではないので、最初にぱらぱらと斜め読みし、15歳の家出少年と、60歳のオジサンそれぞれの旅の二本立てだって事がわかって、タイトルからして前者が主人公だろうけど、後者の方が圧倒的に面白くて、1章おきに書かれた後者の旅を先に呼んでしまい、あとから全体を読みました。
私の読後感では、カフカくんよりナカタさんとホシノさんが物語の主要な位置を占めてます。それまで人々の言われるがままに生きてきたナカタさんが、突然自分の意思を持ち、「このナカタという人間は一体何だったのでしょう?」と問い掛ける辺り(下巻167ページ)、上巻からのナカタさんとは別人のよう。実際ナカタさんは、これ以降普通の人間になって、図書館に行って本を読みたい、水族館に行きたい、ということまで言うようになります。この辺りが読んでいてとても切ない。
といってもナカタさんは1人では行動できず、時折何のために行動していたかを忘れることもある。そんな時上手く軌道修正するのが星野青年。この星野青年、村上ワールドの中では極めてまともな人物設定。他の人がいろいろ問題を抱えていて、中にはこの世に半分しか足をかけてないような状態の中で、星野青年は、不思議なことに出会っても、それを受け入れていく、けれども自分はあちら側には行かず、しっかりこちら側の人間。彼の存在があるからこの物語がバランスが取れたものになっていると思う。そうでなければものすごく不安定なままの物語だったと思う。ただ、なぜか(村上春樹お得意の)「やれやれ」と一番多くつぶやくのが星野青年でもあるけど。
本来主役であるはずの田村カフカについては、ちっとも感情移入ができないまま。彼が、村上ワールドによくある自分探しの旅をしている、という設定だとしても、この旅は甘いよ。あまり苦労をすることもなくすぐ助けが出てきちゃうし、自分探しというよりは、15歳の青年が性の目覚めの過程で彷徨っているという感じ。オイディプス・コンプレックスを感じなくもない。それから、あまり15歳らしくない。少なくとも私のイメージする15歳じゃない。こういう少年もいるかもしれないけど。15歳でジム行ってメニューきちっと組んで運動してるって、ストイックなような、ナルシストのような。そんな、良く言えば自制心のきいた、でも私にはそこも15歳らしさを感じられない設定。時々キレる設定になってたけど、物語ではそれは語られるだけで、そのシーンが出てくるわけではない。もう少し感情の起伏があってもよかったのに。とても「世界で一番タフな15歳」には思えない。
脇役の人物設定が良かった。大島さんは重要でしょう。田村カフカにとっての、こちら側とのバランスをとる人間のさくらさん、カーネル・サンダース、星野青年にクラシックを導く喫茶店の店主など。

小説中の人物設定は、村上春樹の小説の特徴がてんこ盛り。一人っ子(実はこの物語に一人っ子は出てこないけど、カフカ少年は母が姉を連れて出て行ったことでトラウマを持ってること、父親と殆ど交流がなかったことから一人っ子のようなもの)、本当に恋愛している人がでてこない(恋人が死んで、その思い出に生きながら主人公と交わる女性、まるで「ノルウェイの森」)、異世界へ行ってしまう(「羊を巡る冒険」)などなど。
音楽も相変わらずで、ジャズからクラシック、コルトレーンからベトベン。ベトベンの「大公トリオ」がメインになってます。ただ全体として、小説の背景に上手く音楽が流れていない印象がしました。これまでの作品だったら、もう少し作品と音楽がマッチしていたと思うけど。

どうして村上春樹って人気あるんだろう。殆どいつも結論がないような、登場人物を突き放すような終わり方なのに。それから、村上春樹の小説は大学生、社会人と、徐々に主人公の年齢が上がってきたと思ったのに、なぜ今少年の話に戻ったんだろう。その辺りが読後の疑問。
posted by M at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書
Wed,10 August 2005

祝!シャトル無事帰還。野口さんお疲れさまでした。

9日(火)、スペースシャトル・ディスカバリーが、一日遅れ、到着地変更ながらも無事帰還。よかった。乗務員皆さんとNASAのスタッフに拍手!野口さん、お疲れさまでした。夢を叶えて宇宙に出て行かれたこと、素晴らしいと思います。
シャトル計画は残念ながら凍結されてしまったけど、今回の飛行が生かされますよう。もうコロンビアのようなことは起こらないよう。

で、シャトル無事帰還記念、私が好きな宇宙物の本。人類は昔から宇宙に夢を馳せてきたのね。この分野の本はいっぱい。とはいえ、SFが得意でないM、残念ながらこの分野は殆ど読んでいないのだけど。

数少ないながら、最もお気に入りはこの本。
火星年代記
火星年代記
posted with M at 2005. 8.21
レイ・ブラッドベリ著 / 小笠原 豊樹訳
早川書房 (1979)
通常2??3日以内に発送します。

[Amazon]はこちら。
手元に本がないので詳細な内容は覚えていないのだけど、これはSFというのか、叙情詩の様な不思議な世界と感じたことを覚えている。原著で読んでないけど、原著での雰囲気はどうなのだろう。小笠原氏の訳のなせる妙なのか。
人類が宇宙への夢を馳せて、失敗を繰り返しながら進んで、行き着く先はあんな世界なのか。それでも出て行こうとするんだろうな、と思った記憶が。

もう一冊はマンガですが。
パスカル・シティ
パスカル・シティ
posted with M at 2005. 8.21
新谷 かおる著
メディアファクトリー (2001.11)
通常2??3日以内に発送します。

[Amazon]はこちら。
新谷かおると言えば、「エリア88」、「ファントム無頼」、「ふたり鷹」辺りが有名だけど、宇宙物もあるのよね。もともと松本零士のアシスタントだったし。
これは、シャトルが軌道をはずれて太陽へ向かっていくのを、乗組員の子供たちが別のシャトルを盗んで助けに行く話。親が子供に機密を漏らして(!?)いたおかげで、子供たちはシャトルについての知識はいっぱい。操縦士の子は操縦を、運行士(っていうのかな、ヤマトでいう真田さん)の子はパソコンを熟知していて運行や軌道計算もしてしまう。船長の子はリーダーとなって、艦内をしきり、雑用(笑)にいそしむ。大人が驚く柔軟性と発想を見せ(この辺り痛快)、みごと親を救い出し、次世代の宇宙飛行士となっていく。マンガと言ってしまえばそれまでだけど、新しい世代が夢を繋いでいく、未来に希望をもっていくことが明るくかかれた作品でお気に入りです。
9日のネコ
posted by M at 13:28 | Comment(1) | TrackBack(6) | 読書
Wed,29 June 2005

本棚設置しました。

本棚.org内に「Baghdad Cafeの本棚」を設置しました。左バーの「お気に入りリンク」からも入れます。
既読で、五つ星のものを入れてあります。
最初は40冊位だったのに、後から後から思い出して、現在60冊。「ランボー」は、個人的には金子光晴訳([Amazon])が好きだけど、一般的には堀口大学訳([Amazon][bk1])が浸透してるので2冊とも入れました。
菅浩江の「永遠の森 博物館惑星」([Amazon][bk1])だけはカテゴリが未記入。これはSFなのか、ファンタジーなのか。でも推理作家協会賞とってるしなぁ。他のカテゴリもざっくばらん。宮本輝の「避暑地の猫」([Amazon][bk1])だって、ミステリだよなぁと思いつつ「和書一般」。

それにしても、自分が恋愛物を殆ど読んでないことに気づく。この中で自分が恋愛物という認識なのは、「ノルウェイの森」(上[Amazon][bk1]下[Amazon][bk1])位。宮本輝だってミステリのように読めてしまう。

皆様もお勧めの本があれば是非教えてください。
posted by M at 13:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | 読書
Mon,30 May 2005

『ペンギンの憂鬱』

ペンギンの憂鬱
ペンギンの憂鬱
posted with M at 2005. 5.30
沼野 恭子 / Kurkov Andre〓〓
新潮社 (2004.9)
通常2〜3日以内に発送します。


先日ユーロヴィジョンコンテストがキエフで開催されていて、今年のお正月に読んだこの本を思い出した。

キエフに住む作家の周辺に起こった出来事を綴った物語。主人公は動物園から鬱病のペンギンを貰い受けて同居し、さらに見知らぬ人物の幼い娘も預かり、二人と1匹の同居生活が始まる。主人公に、新聞の死亡欄の予定稿を書く仕事の依頼が舞い込む。やがて主人公は、己の意志と関係なく自分が属さないはずの世界の出来事に巻き込まれていく、というもの。
不条理小説とも紹介されていたけど、読み始めて直ぐに作家の描く世界にすっ、と入り込め、後は一気に読んでしまった。そもそもペンギンを飼うという設定がありえないはずなのだけど、それがとても自然なこととして受け入れられる。今しがた部屋の中に猫がやってきて、私の足元で眠っているように。後書きにあったが、作者が新聞社の取材を受けた際、飼っているペンギンに会わせてくれとしつこく言われて閉口したそうだ。それ位ペンギンのミーシャが同居している様子が自然なのだ。私自身、読後(ペンギンを飼いたい!)と心底思ったもの。勿論名前はミーシャ。
また死亡記事の予定稿というのは、実際にあることで、例えば海外の新聞のお悔やみ記事を読んでいると、友人が書いた文章の最後に(この文章は○○年に書かれたものに加筆訂正している)と書いてあったりする。この物語では、それらの記事が原因で主人公は様々な出来事に巻き込まれていくのだけど、それらは実際にあってもおかしくないような世界として読めるのである。キエフという舞台設定が、どこか旧社会主義政権下の街なら起こりうるかも、という先入観を抱かせてしまったのかもしれないけど。
この物語の登場者(ペンギンのミーシャを含め)達は、最終的にどうなるかが描かれていない。行く末がはっきりするのは死亡した人達だけ。それが、この物語で描かれた世界のありようであり、不条理なような、無情なようなとも思うのだけど、でもその中で登場者達は淡々と動いている。主人公とペンギンが孤独の象徴として設定されているとの評もあるけど、この物語は登場者皆それぞれが世の中で独りきりであるように読める。例えばミーシャと主人公は、同居していても交流があるわけでもないし、お互いを思いやっているようで、でも距離を置いて見ているようでもある。本の少しだけ同居する女性にしても、主人公との距離がある。それぞれが世間の出来事に巻き込まれても、結局は独りきりでその世界の中に置かれている、といった風なのである。作者の世界観なのか、そんな世界を知っている人物が書いた作品なんだろうなと思う。

お正月に日本語で読んで感動して、帰英後英語で読もうと書店で手にとったが、表紙のペンギンの絵柄があまりにリアルで、日本語版とは違う印象を持ってしまった。
物語をすんなり受け入れられたのは、日本語版の表紙のイラストのおかげかも。装丁というのは大きな影響を与えるものだなぁ。「プロスト・シリーズ」も、日本はプロストと思われる人物のイラストがかわいいけど、英国版だと暗黒街の世界の物語としか思えない装丁で全く違った印象だものなぁ。

私は、新潮クレストブックスシリーズの装丁好きです。
posted by M at 19:21 | Comment(1) | TrackBack(2) | 読書
Sat,28 May 2005

矢を花に変える−『禅的生活のすすめ』

禅的生活のすすめ
禅的生活のすすめ
posted with M at 2005. 5.28
塩原 通緒 / Thich Nhat Hanh
アスペクト (2005.3)
通常2〜3日以内に発送します。


海外で生活をはじめて、日本食はさほど渇望しないが、日本語の活字にはとても飢えることを知った。最初に住んだ大学の寮が新築で部屋からネットが接続できたので(当時としては画期的)、直ぐに手続きをして毎日日本語の新聞を読んだ。それだけでも活字の飢えが満たされたが、やがて日本の本を読みたくなり、書評ページ巡りをするようになり、オンライン書店からのMLを購読するようになった。これは今も変わらない。

上記は先日送られてきたあるMLで紹介されていた、ベトナム戦争の解決に深く関わった禅僧による本。bk1では「呼吸法、歩行法、瞑想法が紹介されている」とあるが、別のサイトで紹介されていた、「矢を花に変える」という一節にとても感銘を受けた。仏陀が悟りを開く前に魔羅(マーラ)という悪魔から攻撃され矢を撃たれるが、矢は仏陀の傍までくると花に変わったという話を元に、普段の生活の中で自分に向けられた暴力的な行動や言葉を花に変えられると説いている。

とても難しいことだけど、とても大切なことだと思う。武力行使を伴った戦争の中でも、何気ない日常での諍いでも、自分を攻撃する相手を憎みがちなもの。この本は自分がどんな逆境にあっても、相手に哀れみをかけられることは可能だと説く。実際その通りだと思うし、日頃からそうした心がまえを持ち、実践していきたいと思う。

思い出したことがある。まだ小2の時のこと、多少目立つ子供だったので、一学年上の女の子たちに睨まれていた。今のようないじめとは違って「あの子生意気」と言った陰口程度のものだったが、それなりに悩んだ。その時私がしたことは、道であったら彼女たちに「おはよう」と挨拶をし、相手が困っていたときに普通に手を差し伸べることだった(小学生なので、掃除を手伝うといった程度のものだったが)。するとやがて彼女達から「一緒に遊ぼう」と輪に誘われるようになったのである。

私、幼い時に、矢を花に変える実践してたんだ。

小さい時にできてたんだから、今できないはずはない。

この2週間、自分のやりたいことがダメになりそうなことが次から次へと襲ってきた。そうしたきっかけを作った言葉をはいた人を恨み、自分の周囲にもあたるような行動を取ってしまった。時間が経って、冷静になり、今の環境の中で精一杯やるしかないんだとあらためて思った時、周囲に暖かい気持ちで、笑顔で話せるようになり、暖かい言葉が返ってくるようになった。冷たい関係になってしまった人々とも、あらためて言葉を交わせるようになった。

この本を取り寄せて読んでみようと思う。

posted by M at 23:11 | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書
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