店主敬白
20日(木)−24日(月)、更新をお休みします。
25日(火)にまとめて記事をアップする予定です。
Sat,15 October 2005

パキスタンへの復興支援、そしてハリケーンの被害を受けた中米への支援

世界各地で、8日(土)の地震で被害を受けたパキスタンへの支援への表明がなされている。英国でも様々な組織が支援に取り組んでいる様子が連日報じられており、ラジオからは、通常のCMや番組案内の間に寄付を呼びかける案内が流れている。

日本でも多くの組織が支援を行うための協力を募っていることだと思う。そんな組織の一つに、財団法人日本フォスタープラン協会がある。
フォスター・プランとは、英国に本拠地を置く世界的な活動で、途上国の子どもたちとともに地域開発援助を行う国際NGO組織。支援の方法は様々で、地域開発プロジェクトに支援することで、その地域で恩恵を受ける子供を「フォスター・チャイルド」として紹介され、交流を持つことができる「フォスター・ペアレント」、特に困難な状況にある子供たちを対象に支援を続ける「マンスリー・サポーター」、金額も寄付の方法も自由な「一般寄付」、1つのプロジェクトへ1寄付者(個人、法人など形はいずれでも良い)が$10,000以上寄付して支援する「特別寄付」。Mもかつてフォスター・ペアレントとして某国の少年の成長を見守っていました。

今回は、8日(土)に発生したパキスタン地震に対する緊急復興支援プロジェクトが実施されており、フォスター・プラン事務局が寄付を募っている。詳細はこちらに。
それから、今回はこちらを紹介したかったのだけど、実はハリケーン・カタリーナ、リタの後に、大型のハリケーン「スタン」が中米に上陸し、甚大な被害が出ている。こちらは米国本土に上陸したものと違って少しも大きく取り上げられなかったけど、国力やインフラ整備から見たら、こちらの被害はより深刻。フォスター・プランではこちらに対しても緊急支援プロジェクトを立ち上げており、寄付を募っている。詳細はこちらに。中米のハリケーン被害については、英国でも被害の報道のみで支援の声が小さいけど、とても必要とされる支援だと思う。

フォスター・プランについて知りたい方は、こちらから、あるいは左サイドバーに設置したバナーから入って確認できます。
今回、リンクについてご快諾いただいた(財)日本フォスタープラン協会の関係者の方に心からお礼申し上げます。
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Sat,08 October 2005

伝道師(!?)ブッシュと世界平和

ブッシュ米大統領が、アフガニスタンとイラクに侵攻した際、自分は神からの使命を遂行中なのだ、と述べたことが話題になっている。
この発言は、2003年6月のシャルム・エル・シェイクでのイスラエル−パレスチナ和平に関するサミットの際、パレスチナ代表団との会談で出たよう。そのときの代表団の一員だったナビル・シャース情報相(当時は外相)が、今月放映予定のBBCのドキュメンタリーのインタビューに答えて述べたもの。
それによると、神が「ジョージ、アフガンに行ってテロリストと戦え。」と仰り、ブッシュ大統領はそれに従ったらしい。次に神は「イラクに行ってで専制政治を終わらせろ。」と仰り、それでイラクに行ったらしい。そして「私は今再び神の言葉がやってくるのを感じている『パレスチナに行って、パレスチナの人々に国を与え、イスラエルの人々に安全を与え、中東に平和を与えよ』と」。


この写真は、このニュースを報じた昨7日(金)付の当地紙The Guardianの一面で使われたもの。また上手い写真があったものだ。
bush-god2.jpg
神様、今度は彼に「大統領を辞めて大人しくしろ」とでも仰っていただけませんか。


ホワイトハウスはこの発言を否定(そうだろうな)

昨7日(金)に同じニュースをやはりトップで伝えた当地紙The Independentの今日8日(土)の見出しは、'The man who took on George Bush and won (the Nobel Peace Prize, that is)'(ジョージ・ブッシュと戦って勝った男(すなわちそれがノーベル平和賞となったわけで)。記事の中では、IAEAやElBaradei(エル・バラダイ)事務局長の功績を讃えつつ、彼らの限界や失策もきちんと報じてるけど、主眼は米国、特にブッシュとの対立。
そういえばブッシュが再選された昨秋'Four More Years!'(あと4年もかよ!)という見出しを英国の新聞がいくつか掲げたけど、The Independentもそうだったな。

[参考]
-George Bush: 'God told me to end the tyranny in Iraq' (The Guradian)
-'The man who took on George Bush and won (the Nobel Peace Prize, that is)' (The Independent)
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Thu,06 October 2005

On this day−10月6日

1973年の今日、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃。中東は幾度目かの戦渦に陥った。
この戦争、日本では「第四次中東戦争」といわれるが、一般には、この日イスラエルが贖罪の日(Yom Kippur(ヨム・キプール:Day of Atonement))だったことから、「ヨム・キプール戦争」と言われる。またイスラム社会がラマダン月であったことから、「ラマダン戦争」とも言われる。
67年の6日戦争で大敗を喫したエジプト、シリアは、今回は先制攻撃を仕掛けて一矢報いたが、すぐにイスラエルが体制を整えて反撃。ゴラン高原、そしてシナイ半島で激しい攻防が続いた。10月22日、国連安保理で決議338(注1)が可決され、24日には停戦となった。
Anwar Sadat(アンワル・サダト)・エジプト大統領は勝利を唱え、イスラエル側は、実際の戦闘にはほぼ勝利したものの、敗北感が漂い、Golda Meir(ゴルダ・メイア)首相は責任を取って辞任した。

この後、サダト大統領は一転してイスラエルとの和平へと進む。77年11月、イスラエルを電撃訪問、翌78年9月には米国のCamp David(キャンプ・デーヴィッド)で、Jimmy Carter(ジミー・カーター)大統領の仲介のもと、イスラエルのMenachem Begin(メナハム・ベギン)首相との間で、「中東和平の枠組み」について合意に達し(キャンプ・デーヴィッド合意)(注2)、その翌年の79年3月26日、イスラエル・エジプト和平条約が締結された。
この条約締結により、エジプトは西側諸国からの支援を得たが、アラブ社会では、アラブ連盟から除名され孤立。サダト大統領は、戦争開始の8年後のこの日、戦争勝利を記念する軍事パレードの最中、イスラム過激派により暗殺されてしまう。

1989年、エジプトはアラブ連盟に復帰、イスラエルとは「冷たい関係」と言われながら外交関係を保ち、最近の中東和平交渉では、サダト大統領の後を継いだHosni Mubarak(ホスニ・ムバラク)大統領が地域の大国としてキーマン的役割を果たしている。

注1:戦闘の停止、及び67年の6日戦争時に採択された決議242の実施を確認するもの。
注2:現在の中東和平の枠組みの基礎となっている。

[参考]
-1973: Arab states launch war on Israeli forces
-1981: Egypt's President Sadat assassinated
(いずれもBBC ON THIS DAYより)
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Wed,28 September 2005

9月28日−この10年

1995年の今日−
イスラエルとパレスチナは、西岸の人口集中地域からのイスラエル国防軍の撤退とパレスチナによる自治開始、及びパレスチナ自治評議会選挙の実施について合意、この日合意文書(「オスロII」、「暫定合意」とも呼ばれる)に調印した。
2年前の1993年9月13日の調印式に比べ地味に行われたこの日のセレモニーで、ラビン首相は、前回と違って普通にアラファト議長と握手を交わした。
直後の11月、ラビン首相は暗殺された。それでも12月には西岸の主要都市からイスラエル国防軍が撤退し、翌年1月にはパレスチナ議長選挙と評議会選挙が行われた。

2000年の今日−
シャロン・リクード党首(当時)がエルサレムの神殿の丘を訪問。これに反対するパレスチナ人とイスラエルの治安勢力の間で衝突が発生。
やがてアル・アクサ・インティファーダとして暴力の連鎖が拡大することになる。

2005年−
シャロンは首相としてガザからの撤退を実施。一方で西岸には分離壁を建設、また入植地の拡大を目論んでいると言われ、住宅建設が進められている。パレスチナ側は、ガザからのロケット攻撃を停止し、沈静化を遵守すると宣言したが、まだロケット攻撃が散発して行われ、これに対するイスラエルのガザへの報復攻撃、西岸でのパレスチナ人の身柄確保、逮捕も続けられている。

この10年、事態は進んだのか。

[参考]
1995: Palestinian self-rule in West Bank agreed
2000: 'Provocative' mosque visit sparks riots
(いずれもBBC ON THIS DAYより)
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Tue,27 September 2005

党内抗争、そして武器を放棄する人々、しない人々

イスラエルでは、昨26日(月)、与党リクードの中央委員会が党首選を前倒しするかどうかについて投票を実施。賛成1,329票、反対1,433票。104票の僅差で前倒しは否決され、予定通り来年4月に党首選が実施されることになった。シャロン首相は元財相ネタニヤフ率いる反対派の突き上げを辛くもかわした。

英国では、現在与党労働党がブライトンで党大会を開催中。昨26日(月)は、次期党首、首相候補と目されるブラウン財相の演説に注目が集まった。さて今日27日(火)のブレア首相の演説はいかに。

イスラエルは、先週末よりパレスチナのガザ地区に対して空爆を実施し、ハマスやイスラミック・ジハード、他パレスチナの抵抗勢力の拠点を潰し、指導者を殺害している。26日(月)、ハマスは武力行使停止宣言を行ったが、その後もイスラエルは新たな攻撃を実施し、西岸では、多くの抵抗勢力の活動家の身柄を捕獲している。

北アイルランドでは、昨26日(月)、IRA(Ireland Republican Army)が保有する武器を使用不能にしたことを国際監視委員会が確認。1998年のGood Friday合意の内容がここにきて一歩進められた。今後は、現在休止されている北アイルランド自治政府の活動の復活がどうなるかが注目される。

自分が見ている地域が同じようなことで動いているなぁ(中身は差があるけど)、と思ったので、こんな記事にしてみました。

おりしも、Good Friday合意の達成に尽力し、今年8月に亡くなったモー・モーラム(Mo Mowlam)元北アイルランド担当相(享年55歳)が、世論調査で、チャーチルやサッチャー、ブレアといった歴代首相を押えて「英国人が好きな政治家」第一位に。彼女はユーモアや誠実な活動で在職中からとても人気が高かったけど、実際演説を聞いてみると、とても可愛い、今時の日本風に言えば「癒し系」を感じさせた。早くから脳腫瘍と戦い、薬の副作用で髪が抜け落ち、太ってしまっても、それを隠そうともしない、飾らないところも魅力だった。Good Friday合意に向けて、刑務所に入って収容されている活動家一人一人を説得して回った。そんな彼女の努力がやっと少しづつを結び始めているんだなと感じた、昨日のIRAの武器使用不能確認の報道でした。

[参考]
Sharon clinches surprise Likud win (Haaretz9月27日(火)付け記事より)
Clock ticking as Brown puts Blair on notice to quit (The Times9月27日(火)付け記事より)
IDF, Shin Bet arrest 82 Hamas, Islamic Jihad men in West Bank (Haaretz9月27日(火)インターネット版より)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4283444.stm (BBC NEWS|Northern Irelandより)
Mo Mowlam voted UK's favourite MP (BBC NEWS|Engalndより)
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Sat,24 September 2005

good news−尼崎のJR脱線事故で意識不明の重体だった女性、意識を回復し母親に語りかける

4月25日(月)のJR福知山線の脱線事故で重体となる怪我を負い、意識不明の状態が続いていた女性が、意識を回復し、言葉を発せられたそうです。

よかった。
怪我の具合など詳細は記事には出ていないけど、ご回復を心からお祈りします。

人間の生命力って凄い。

[参考]
重体の女性、意識回復 尼崎JR脱線事故(共同通信フラッシュニュース)
事故についてMが考えたことはこちら(2005年5月25日(水)の記事)
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Fri,23 September 2005

エジプト−ガザ間の国境開放で、パレスチナに密輸されたものは

この夏、イスラエルが38年軍事支配していたガザ地区から撤退した。イスラエル国防軍の撤退直後から、ガザのパレスチナ人が退去してエジプトとの国境であるラファハ(Rafah)に押し寄せ、壁を乗り越え、あるいは壁を壊してエジプト側へ向かう姿が見られた。まるでベルリンの壁が崩壊した時のような光景だった。パレスチナもエジプトも、当初は「ガス抜き」とばかりに国境を開放したままにして、多少の行き来は目をつぶっていたが、制御がきかなくなってきて、今週国境を閉鎖してしまった。何百人かのパレスチナ人がエジプト側に取り残されたままになってしまったが、明日23日(金)には検問所を解放して、戻れるようにするそうである。

エジプト側に言ったパレスチナ人は、長年国境を隔てて離れ離れになっていた親戚と再会したり、買出しにと忙しかった。パレスチナ人が入手したものは、日用品、食料ばかりではない。武器も多くガザに密輸されたと見られている。主に通常兵器だが、カチューシャミサイルや弾薬が大量に入り、ガザの武器市場は暴落しているようである。

パレスチナ人が入手したのは日用品や武器ばかりではない。なんと彼らは、「エジプト人花嫁」まで「密輸」していたのだ。先週1週間で約100人のエジプト人女性が、正式な手続きもしないままガザに「嫁入り」したとか。
パレスチナ人男性にしてみれば、エジプト人女性との結婚は、花嫁の持参金が多く、費用がかからなくてすむらしい。また、既に結婚していて、第2、第3夫人を探している男性が多いらしい。
エジプト人女性の側も、「エジプトの経済状況はガザほど良くなくて」ガザで暮らすことを望んでいるとのこと。ガザって、通常は貧困や経済状況の悪化が話題になるけど、エジプトよりも良いんだ。これには驚き。またエジプト人女性曰く、「パレスチナ人男性はエジプト人男性よりも良いのよ。奥さんをどう面倒見たらいいのかわかってるし、そこそこ良い暮らしをさせてくれる」。親もパレスチナに嫁がせたがるのだとか。

今後もまだまだ国境の行き来に関しては不安定で、エジプト、パレスチナ双方が上手くコントロールできるのか、それとも第三者(EUが取りざたされている)の監視がつくのか、これから話し合われるところ。
でも人々は既にしっかりと交流している。

[参考]
Egyptian Brides smuggled into the Gaza Strip (9月20日(火)付けJerusalem Postより)
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Thu,22 September 2005

敵に砂糖を送る!?

ちょっと前のnewsですが気になっていたので。

インドとパキスタンは、インドから非課税でパキスタンに砂糖を輸出することで合意。パキスタン政府は、過去4年間インド産砂糖の輸入禁止措置をとっており、国内の砂糖の値段は高騰していたが、和平交渉が進み始めたことでこの禁止措置を解除する事を決定、さらに非課税輸入に同意した。

なるほど、インドとパキスタンの間は砂糖ですか。塩じゃないのね。といっても上杉謙信は武田領内に無料で塩を送っているはず。こちらはあくまで「非課税輸出」。ちゃんと貿易を行っています。

紛争地域も和平の兆しが見えているところが多い。このカシミールもそうだし、スリランカでも対話が始まったという報道も。北アイルランドは、IRAが武器放棄宣言をしたけど、今月に入ってまた週末のパレードで小競り合いが起こってしまった。イスラエルとパレスチナも、イスラエルのガザ地区での軍事占領は終了したけど、まだまだ解決されていない問題が山積みで、パレスチナ内部も混乱している。一旦紛争になるとなかなか絡み合った紐は解きにくい。

だからこんなnewsに接するとほっとする。紛争が終わって、人々の暮らしが落ち着いて、経済活動が盛んになっていくことがより安定をもたらす。長年の敵対心はそう簡単に解けるものではないから、ひとつひとつ絡まったところを解していくしかない。

パキスタンは最近積極的な動きを見せているなぁ。イスラエルとの接触も公になったし。

ところで、インド−パキスタン間に「砂糖の道」ってあるのかしら。

[参考]
India exports sugar to Pakistan(BBC NEWS|World より)
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Wed,21 September 2005

自爆テロの予行演習とCCTVの映像

7月7日(木)のロンドンの自爆テロの犯人のうち3人が、9日前に予行演習をしていたことがCCTVの映像で判明。

犯行直後、「本人たちは何も知らずに荷物を担がされて、遠隔操作で爆破された。」という主張もあったけど、これで自らの意思で自爆テロを実施したことがほぼ確実になった。

自分が死ぬための、人を殺すための予行演習を行うって、どんな気持ちなんだろう。

そのことよりも、このnewsで驚いたのは、膨大なCCTVの映像から彼らの姿を見つけ出したこと。
ロンドンの街を歩いていると、大通りや人が集まる場所にはそこかしこにCCTVが取り付けられている。家の近くには市内を北から南に抜ける主要道路(A1)があり、この道沿いにはカメラがびっしり。こんなたくさん取り付けて誰が見ているんだろう、本当に見てるんだろうかと思っていたけど、ちゃんと見てるんだ。
CCTVの映像で市内中心部に入る車のナンバーをチェックして、渋滞税(8ポンド=約1,600円!)を支払っているかどうか見ているんだし。これも、映像なんて見逃がさないかと思うけど、見逃してないもんね。
安心だけど、常に見張られているような気がしないでもない。George Owellの「1984」まではいかないけれど。今日も道すがら頭上にCCTVを見つけて、(今あそこに写っているんだろうな)と思いながら歩いていた。

ところでこの自爆テロのnews、夕方6時のラジオではトップニュースに入っていませんでした。トップニュースは、イラク、council tax(住民税)の見直し延期、ケイト・モスとか言うモデル(すいません、知りません)の薬物疑惑。既にそんな扱い?

[参考]
London bombers staged 'dummy run'(BBC NEWS|UKサイトより)
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Sat,17 September 2005

国連安保理会議でブッシュ大統領にとって重要だったこと

14日(水)、国連安保理会議場にて。
bush11.jpg
"I think I may need a bathroom break? Is this possible?"
(「トイレ休憩したいんだけど。いいかな?」W.)

(ライス国務長官にメモを書くブッシュ大統領)





bush21.jpg
(ライス国務長官にメモを渡すブッシュ大統領)









上の写真は、「ブッシュ君はトイレに行きたいの("Bush Needs to Go Potty")」という見出しで世界中に配信され、15日(木)付けのThe Timesの一面に載りました。

大統領ってのも大変ですね。

[参考]
-Excuse me Condi, can I go to the bathroom?(The Times9月15日付けインターネット版より)
-Please Miss, may the US President be excused from the room?(The Times9月16日付け紙面より)
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Fri,16 September 2005

ヘンリー王子(Prince Harry)とハリー・ポッター

昨15日(木)はPrince Harryの21歳の誕生日。新聞、TV、ラジオがこぞって彼のインタビューを報道していた。
その内容を受けた日本の報道を見たのだけど、

「ヘンリー王子」。

それ誰?

Prince Harry。本名はPrince Henry Charles Albert David(ヘンリー・チャールズ・アルバート・デヴィッド王子−こちらのやんごとなき方はお名前が長いのです−)。日本の新聞は本名に即して「ヘンリー王子」って書いているんだろうな。
でもこちらでは専ら愛称の「Harry(ハリー)」で通ってるし、バッキンガム宮殿の公式サイトも'Prince Harry'で、発表なども'Harry'。
ここは日本の報道機関も、バッキンガム宮殿の呼称に倣って'Harry'(ハリー)としても良いのでは。

ハリー・ポッターは多分「ヘンリー」と書いてあることはないと思うけど、この新聞報道のルールに照らしたら、ヘンリー・ポッター、略してヘン・ポタになってしまうよ。

Prince Harry、問題行動もいっぱい起こすけど、なぜか結構国民には愛されている存在。昨日の誕生日の報道もお祝いムードに満ちてて、これまでのパーティでの醜態や、ナチスの服を着たことなども、本人がきちんと謝罪しているからか、まぁ大目に見てやろう、という感じ。でも本人は、チャリティなどに興味を示し、また現在サンドハースト士官学校で学んでいることから国の防衛に意欲的な反面「これからもパーティには行くよ。僕は僕だから(I am who I am)」。
実は初めて声を聞いたのだけど、可愛い顔に似合わない、意外に低い声。日本の皇室関係者の記者会見はかしこまった感じのやり取りが多いけど、今回のインタビューは気さくな感じで、英語も若者言葉がどんどん出てきて、歳相応の、普通の話し方をしているな、という印象でした。
因みに昨日は特に行事はなし。王子ご本人は士官学校の訓練で、ウェールズの山中のトレンチの中にいたはず。

[参考]
Prince Harry(イギリス王室のサイトより)
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Thu,15 September 2005

在外邦人の選挙区での選挙が可能に。

14日(水)、最高裁は、在外邦人の選挙に制限を設けている公職選挙法の規定を違憲と判断、選挙法を改正しなかった国の不作為を認めた。
(在外選挙権の制限は違憲 選挙区投票認める 最高裁判決(朝日新聞インターネット版記事))

在外邦人には長い間選挙権が認められず、98年の公職選挙法改正で衆参両院とも比例区の投票は認められても、選挙区の投票はできないままだったけど、今回の最高裁の判断で選挙区への投票も可能になる。
この判決、何が画期的って
・必要があると知りながら公職選挙法改正を行わなかった国の立法不作為(84年に改正案が国会に提出されたけど廃案になり、98年の改正時にも、選挙区選挙について見直しを行うとしていながら行わなかった)を認めた。
・不作為による賠償請求を認めた。
・選挙区での選挙権を認めたことで、早急な法改正が求められることになった。
→小泉首相は次回国政選挙(遅くとも2007年の参院選挙)までに法改正を行わなければならないとの認識を示した(日本経済新聞インターネット版より)
→総務省も次の通常国会に法改正案を提出することを目指すと発言(共同通信フラッシュニュースより)

おそらく公職選挙法制定当時、ここまで世の中の人やモノの移動が進んで、日本人が海外に出て行くことを想定してなかったんだろうな。いまや70-72万人とも言われる在外有権者、現在の国内のどれだけの選挙区の有権者数に匹敵することか。これは大きいですよ。15日(木)付けの日本国内の全国紙の社説はいずれも判決を支持していますね。

でも問題も。現行の手続きは面倒。有権者が在外の領事館で登録し、その内容が地元の選挙管理委員会へ届けられて確認が済んで登録証が届くまで時間がかかる。また投票も、領事館が遠い人は二の足を踏んでいるし、郵便投票手続きもややこしい。産経新聞の主張は在外邦人の登録数、投票率の低さを指摘しているけど、法改正には手続きの改正も望みたい。

今回の判断では、選挙公報等充分な情報が伝えられないとして不平等を訴える国側の主張も、情報伝達手段の発達を理由に退けられた。これはインターネットを利用した選挙運動についての見当にも弾みをつけるんじゃないかな。政見放送を見てる人って少ないし、無所属だと政見放送ができないって被選挙者側から見たら不公平だよね。選挙カーで名前を連呼されるだけで何やっているかわからないで判断しろっていうだけの選挙から、政治家や候補者が積極的に製作や実績を主張して、有権者側がアクセスしやすいようにして欲しい。今回の選挙でも、選挙期間中だけネットのサイトのページを閉じても、それまでに立候補者側は発信を積み重ねていれば良いんだし、意味がない。それにネット上の選挙がダメで、TVのワイドショーで報じられるのはいいの?政策でなくて派手さや見栄えだけの競争になってるんでは、と心配。

閑話休題。
今回の判決にあたって原告団となられた13人の方々、本当にお疲れさまでした。
それにしても賠償金額が5,000円って。まぁ今回の判決は、賠償金額の多寡以上に判決内容の価値は大きいのだけど。

ところで、法改正前に首相が衆院を解散して選挙になったらどうなるんだろう?違憲状態の選挙法で選挙しても無効とされてしまわないか。それに−今国会の情勢、数として考えられないけど−内閣不信任案が可決されたら?この場合は内閣総辞職で済むけど、これまで不信任案が可決された時は結局衆院解散してきたんだよね。

[参考]9月15日(木)付け全国紙社説
在外投票制限違憲 急ぎ公職選挙法の改正を(産経新聞)
在外選挙権 国の怠慢は酷すぎた(朝日新聞)
[在外邦人選挙権]「国の不作為に踏み込む最高裁」(読売新聞)
在外選挙制度 国会は時代の要請に応えよ(毎日新聞)
最高裁の選挙権判断は当然(日本経済新聞)
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Tue,13 September 2005

オスロ合意から12年目。

12年前の今日、9月13日、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO)の指導者アラファトが互いの手を握った。イスラエルはアラファトが率いるPLOをパレスチナの唯一正当な代表、交渉相手と認め、PLOはイスラエル国家を承認、西岸とガザでパレスチナの暫定的自治を始め、和平交渉を進めることに合意し、ワシントンで調印式が行われ、二人が握手したシーンを世界中が見守った。
けれどその時点では、主な問題は「今後交渉」として先送りしていた。その問題のうちの一つが、西岸とガザ地区内にあるイスラエル人入植地である。

12年後、ラビンもアラファトも既にこの世の人ではなくなった。ラビンの和平合意に反対したシャロンが、イスラエルの首相としてガザ地区からの撤退を実施した。オスロ合意に基づいたものではなく、ガザに留まり続けるコストと危険を考えての現実的な判断からである。今日シャロン首相は国連総会出席のためニュー・ヨークに向かう。そこで彼は各国首脳と会談し、総会では、撤退を実施した英断に賞賛を浴びるだろう。かつてアラブとの戦争で数々の武勇伝を残し、1982年レバノンでのパレスチナ難民虐殺の責任者として世界中から非難されていた彼は今、「中東和平を推進する人物」として賞賛を浴びている。

暫定自治合意からガザの撤退までに12年を要した。けれどもこの撤退は、ガザに完全な自由をもたらしたものではない。昨日の記事でも触れたけど、国境(境界)の交通はおろか、制空権、制海権もイスラエルが握ったままである。ガザのパレスチナ人にとって自由になったのは、ガザ地区内の移動だけ。それまでは地区のど真ん中にイスラエル人の入植地があり、地区内の移動さえままならなかった。それに、2001年から続いたインティファーダの影響でパレスチナの経済は疲弊している。イスラエルの撤退を己の自慢としようとするハマスとパレスチナ自治政府(PA)の間の権力闘争もあり、治安の悪化も心配されている。治安の安定と経済活動のてこ入れ、と課題は山積みなのが実情。
昨日から、ガザはイスラエル軍の撤退にお祭り騒ぎだけど、これが冷めて現実を見つめた時の反応が心配である。
先週、ガザの元治安部隊のトップだった人物(アラファトの甥(従兄弟とも言われる))が殺害された。治安の悪化を受けて、アッバスPA大統領はニュー・ヨーク行きをキャンセルした。ニュー・ヨークでシャロン首相と会談との噂もあったので残念なことであり、またそれだけパレスチナの状況が厳しいということなのだろう。

[参考]
1993: Rabin and Arafat shake on peace deal(BBC on this dayより)
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Mon,12 September 2005

イスラエル軍、ガザ地区から撤退。38年の軍事支配に幕。

12日(月)午前7時頃(GMT+3、日本時間13時頃)、最後に残っていたイスラエル軍部隊が、ガザ地域を出て検問所を閉鎖。38年続いたイスラエル軍のガザ地区の軍事支配が終了した。
入植者の撤退は既に昨月終了し、入植地内の建築物はシナゴーグを除いて全て破壊されていた。昨11日(日)、イスラエル軍は軍事施設も破壊した。
入植地跡地はパレスチナ人が大勢繰り出してお祭り騒ぎのよう。あちこちで記念写真をとる風景も見られるとのこと。

イスラエル軍が撤退し、ガザ地区は全土か自治地域となったけれども、完全ではない。イスラエルは制空権、制海権を握ったままだし、ガザとエジプトの国境検問所はイスラエルとエジプトによってコントロールされる。パレスチナは、このあたりの点を不満として昨11日(日)に実施される予定だったイスラエルとパレスチナの治安権限移管の合同式典をボイコットした。

問題が残された中だけど、パレスチナはガザの治安安定と、入植地跡地の開発に取り組んでいくことがまず何よりも重要だろう。イスラエル軍の撤退を自らの武装闘争勝利とするハマスが権力を握ろうとしてパレスチナ自治政府(PA)と争っているけれど、そんなことをしているのではなく、協力していかに今後ガザを開発、発展させていくかを考えていく時ではないか。取り戻した入植地跡地をいかに上手く利用して住宅や産業地域を建設していくか、支援国の協力を得て取り組まなければならない。
この部分についても、67年のイスラエルの軍事占領前に土地の所有者だったとして、所有権を主張するパレスチナ人難民の存在もある。こういった点の整理も必要になってくる。

また西岸にはまだ大部分でイスラエル軍が治安権限を維持しており、大小の入植地も残されたままである。

パレスチナが欲しいのは何よりも「独立国家」。
イスラエルが欲しいのは何よりも「国家の存続」と「安全に暮らせる生活」。
双方望むことははっきりしているのだから、互いの希望を果たせるよう、暴力の停止、交渉による和平の推進、パレスチナ国家建設へのイスラエルの協力が何よりも重要(...と書いていて気づいたけど、これはロード・マップ(中東和平の指針)のテーゼではないか)。

再び暴力の連鎖になることなく、イスラエル・パレスチナ両当事者による交渉によって和平を進められて欲しい。

[参考]
IDF leaves Gaza after 38 years of military rule(9月12日付けHa'aretz紙インターネット版より)

イスラエル撤退までの主な流れ
1967年
6月5-11日 6日戦争(第三次中東戦争)。イスラエル、ガザを軍事占領。
2003年
12月16日 シャロン首相がヘルツェリアの会議で「撤退計画」を表明。
2004年
4月14日 シャロン-ブッシュ会談。ブッシュ大統領が「最終的地位の結果1949年の休戦ラインに完全に戻ることは非現実的である。」とする書簡をシャロン首相宛に送る。
6月6日 イスラエル、閣議で撤退計画を了承。
10月26日 イスラエル国会、撤退計画を了承。
11月11日 アラファトPA議長死去。
2005年
1月9日 ムハマード・アッバス(アブ・マーゼン)、PA議長に就任。
2月8日 シャルム・エル・シェイク・サミット。シャロン首相、アッバス議長、ムバラク大統領、アブドッラー・ヨルダン国王会談。
8月15日 イスラエルの撤退法施行。
8月17日 イスラエル軍、入植者の強制排除開始。
8月22日 ガザ地区の入植者撤退完了。
8月23日 西岸4地区の入植者撤退完了。
8月24日 イスラエル・エジプト、ガザとエジプトの境界(フィラデルフィ回廊)沿いのエジプト軍配置に合意。
9月10日 エジプト軍、パレスチナ治安部隊、フィラデルフィ回廊沿いに治安部隊配置。
9月12日 イスラエル軍、ガザ地区から撤退完了。
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Sat,10 September 2005

バレンボイム、そしてイスラエルとパレスチナ

1日(木)、ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim)が、エルサレムで行われた故エドワード・サイード(Edward Said)との共著の出版記念会の席で、軍服を着たArmy Radioのレポーターのインタビューを拒否、レポーターに対し、平服に着替えたら答える、と述べた。
これに対し、2日(金)、リモール・リヴナット(Limor Livnat)教育相(リクード、M注:イスラエル版田中真紀子女史)がバレンボイムを批判。「バレンボイムは長年パレスチナ人に対する共感を示してきたが、今回は大のイスラエル嫌い、真の反ユダヤ主義者に匹敵するところまできた」。しかしそう批判しつつも、同相は、「バレンボイムについては、ユダヤ人の、そしてイスラエル国家の子として、割り引いて考えられなければならない」と付言している(バレンボイムはロシア系ユダヤ人の両親の間にアルゼンチンで生まれ、後に一家はイスラエルに移住)。
(Livnat slams Barenboim for refusing interview with IDF Radio(9月2日(金)付けHa'aretz紙インターネット版より)

この出来事に対し、5日(月)、バレンボイムは、西エルサレムで行われた記者会見の席で、軍服のレポーターの存在が出版記念会の席にいた多くのパレスチナ人の気分をどれだけ損ねたかについて説明し、「イスラエル人にとって軍服は安全保障と信望の象徴であり、それはよいことだ。しかしパレスチナ人にとってはその象徴は裏返しの意味を持つ。我々はこのことについての感受性を失ってはならない」と述べた。
彼はその記者会見の席上にArmy Radioからレポーター(勿論軍服着用)が派遣されていることについて「喜ばしいこと」と述べ、記者会見後は同局のインタビューに応じてもいる。しかし「国を持たない人々に対し、国を持つ者として、敏感にならなければならないのは我々の方なのだ。」と付言している。
(Barenboim: Israel should be more sensitive to Palestinians(9月6日(火)付けHa'aretz紙より)

最初のバレンボイムの発言を読んだ時は、(無茶いってるなぁ、そこまで頑なになっちゃったのかなぁ)と思ったのだけど、後日の彼の説明を読んで納得した部分もあった。彼はその場にいたパレスチナ人に気を使っていたんだ。

難しい問題。勤務中の兵士に軍服を着るな、なんて服務規程違反だし、イスラエルで育って兵役も経験しているであろうバレンボイムだってわかっていたはず。
イスラエルは男女とも兵役義務があり、男性は3年、女性は21ヶ月。男性はその後も45歳まで予備役として収集がかかる。兵役を免除されているのは宗教学校に通う正統派ユダヤ教徒(宗教系右派に属する人たちは大イスラエルを標榜しているので積極的に参加。彼らの部隊は先鋭)とイスラエル国内のアラブ人(旧シリア地域以外のドゥルーズ教徒は自分たちをイスラエル人とみなしているので兵役につく)。新移民も事情(年齢等)により免除されることがある。イスラエル国内では銃を持った兵隊が街を歩いていたりあちこちに立っていたり、時には銃を足元において喫茶店でお茶しているのは普通の光景。週末には任地から帰宅する兵隊で、日曜(イスラエルの一週間の始まりは日曜)の朝は任地に戻る兵隊でバスはいっぱい。以前はこの兵隊の移動を狙ってパレスチナの過激派がバスやバス停で自爆テロを行っていた。「治安の維持」と「国を保持」することはイスラエルの絶対的テーゼである。

反対に、イスラエルの兵士の姿がパレスチナ人の気分を害することも理解できる。イスラエルは「占領」側であり、パレスチナは「被占領」側。ガザからはイスラエルが撤退する(9月12日(月)終了予定)が、西岸にはいまだ多くの兵士が駐留しているし、イスラエル−パレスチナの境界に設けられたcheckpointでは、イスラエル兵がパレスチナ人の行き来を監視し、パレスチナ人は数時間に渡って列を作る光景が日常化している。
一般のイスラエル人がパレスチナ人=テロリスト、とイメージしてしまうのと対照的に、一般のパレスチナ人は、イスラエル人=軍=制圧者とイメージしてしまう。ほんの数十キロしか離れていないところに住んでいて、互いに行き来もなく、怖いというイメージだけが双方とも先行している。

バレンボイムは、世界で広く活動してきた音楽家であり、コスモポリタンである。ユダヤ人でイスラエル国籍を持ち、ベルリン・オペラを総監督であり、先日のWest-Eastern Divan Projectを立ち上げ、イスラエル人とアラブ人の音楽家を指導し、混成 Orchestraを率いてレコーディングやコンサートも行い(8月20日(土)8月25日(金)参照)、アラブとイスラエルの相互理解と「連帯(solidarityという言葉を彼は繰り返した)」のためにも動いている。そんな彼が抑圧されたパレスチナ人への感受性を失ってはならないという姿勢は強い主張を感じる。

とはいえ、Army Radioのレポーターに服務規程を曲げさせることも今のイスラエルでは難しいだろう。ちょっと飛躍するかもしれないけど、アラファトに、イスラエルの首脳との会談では戦闘服を脱いでスーツを着て来い、というようなものではと思う。イスラエル人の多くはアラファト=テロの首脳というイメージだったし、パレスチナ国家ができるまでは闘争中だと言って彼が着用していた戦闘服は、多くのイスラエル人にとっては暴力の象徴であり、嫌悪の対象だったろう。死の直前、パリに運ばれる前のパジャマ姿のアラファトを見たとき、(彼のイスラエルに対する戦闘は終わったな)と思ったものだ。

バレンボイムはこれまでもイスラエルで物議を醸してきた。数年前にはイスラエルでの公演でワーグナーを演奏して議論を起こしたし(イスラエルではワーグナーは演奏禁止)、West-Eastern Divan Orchestraの活動も、イスラエルでは殆ど評価されていない(8月25日(金)付け記事参照)どころか、快く思っていない人も多い。ある日彼がイスラエルのレストランで食事をしていたら、そこにいたイスラエル人の客が近寄って来て彼の活動を批判し始め、Barenboimは無視していたけど、奥さんがその人物に対しサラダを投げつけた、なんてこともあったそうな。
でもイスラエルの文化勲章ともいえるWolf賞(M注:もう一つのノーベル賞とも言われていて、小柴博士も野依博士もノーベル賞受賞前にWolf賞を受賞されている)も受賞し、世界的にも押しも押されぬマエストロ。だから普段舌鋒激しいリヴナット女史も、批判しつつもちゃんと最後はトーンダウンしている。
バレンボイムも、5日(月)の記者会見は「イスラエル側」だったこと、West-Eastern Divan Orchestraのことや2日(金)からエルサレムで開かれているInternational Chamber Music Festival(バレンボイムも関与している)に関するインタビューだったこともあってか、Army Radioのインタビューにもきちんと答えているし、同局を賞賛している。

世界的に活躍し、広い視野を持つ文化人の今回の発言、イスラエルとパレスチナのまさに'sensitive'な関係を浮き彫りにさせたものだったと思う。でも彼が出版記念会でArmy Radioのレポーターに取った言動が適切かどうかは、私にはわからない。その場にパレスチナ人のゲストがいることを指摘した上で、「君は軍服を着ているけど、今日はイスラエルとパレスチナの闘争でなく共闘を伝えてくれ」といった言い方でもよかったのではと思う。

[参考まとめ]
-Livnat slams Barenboim for refusing interview with IDF Radio(9月2日(金)付けHa'aretz紙インターネット版より)
-Barenboim: Israel should be more sensitive to Palestinians(9月6日(火)付けHa'aretz紙より)
-Daniel Barenboim公式サイト
-International Chamber Music Festival公式サイト
posted by M at 01:12 | Comment(0) | TrackBack(2) | news
Mon,05 September 2005

ニュースへの反応の差

今朝起きて、主なニュースのヘッドラインを確認していたら、AP、BBC、Reutersいずれも、「東京の病院に爆破予告」のニュースが。

Bomb threats at Tokyo hospitals(BBC)
11 Japanese Hospitals Receive Bomb Threats(AP)
#Reutersはこの記事を書いている時点で拾えませんでした。
#参考までに、上のヘッドラインの書き方の差ですが、各単語の先頭を大文字にするのは米系。英国は先頭と固有名詞以外はしません。

中を読むと、手書きで、特に要求はないとはある。でも何か危険なことが起こっているかと日本の新聞系サイトを見てみたけど、いずれもこれに関連したニュースはない。APらがニュースソースにした共同の記事があったのみ。

都内11大学病院に爆破予告 医学部定員倍増を要求(共同通信)

むむむ、いたずらっぽいような。大学受験生が入学したくてしたいたずらか。

今日の海外メディアの日本関連のニュースは、選挙関連、アフガニスタンでの教師2名の死亡の確認の他は、いつも通り経済的なことかテクノロジー関係で、家庭用ロボットの国内販売、といったもの。台風には殆ど触れず。
海外から日本のnewsを見ていると、取り上げられるものの差を感じる。政治に大きな動きがなければ、サブカルチャー的な話題か、テクノロジー。日本人だって皆が知っているわけではない東京や大阪の裏通りの売れ筋が新聞記事になったりする。特派員はそんなところにばかり注目しているのかしらん。
そうそう、阪神タイガースが優勝するとニュースになります(笑)。

今海外のメディアが、爆弾とかテロと言ったニュースにいかに敏感になっているかがわかる一幕でした。
(かくいう私も、かな。)

台風14号とそれに伴う風水害が大変なよう。どうかお気をつけて。
posted by M at 19:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | news
Sun,04 September 2005

アメリカのハリケーンに思う。

先週は大家さんがholidayで出かけていたので、リビングにあるTVでnewsでも見ようとつけたところ、米国南部のハリケーンの被害にビックリ。一瞬、それが米国だと信じられなかった位。米国って、もっとインフラ整備されているかと思ったのに、町全体が水に浸かるなんて。
もっとショックだったのは、避難所の風景。映し出される人々は、どう見ても経済的弱者、貧困層に属すると思われる人々。しかも圧倒的に(ほぼ100%)黒人とヒスパニック系。避難所は秩序もなく、街中では略奪が横行しているのか各店舗のガラスが軒並み破られている。

米国の足元の脆弱さを見た思い。
私が見たのは、ハリケーンが過ぎて2,3日目だったか。BBCやITVといった外国メディアのレポーターがいるのに、どうして救援がいないの?

BBCのラジオのNews番組では、かつてのハリケーンの時に作られた歌というのを流していた。
♪ハリケーンがやってきた、
 そしてクーリッジ(第30代米国大統領(1923-1929)がやってきた...♪
って曲。クーリッジがルイジアナ州のハリケーンの被害を視察にきた時のことらしい。被害を受けたことがあるのなら、堤防を強化するとか、家の建築について高台にするよう基準を設けるとかしなかったのかしら。

米国は、南部はハリケーン、西部は地震、と、自然災害の脅威にさらされている国でもあるのだから、もっと対応が進んでいるのかと思ったのだけど。

それにしても、富裕層はさっさと逃げて、逃げる車も資金もない貧困層が残されて被害を受けるという構図にはぞっとした。

日本も今米国型の社会に移行しつつあるとか、所得格差が進んでいるとか言われているようだけど、将来同じような図(経済的弱者が災害で最もダメージを受ける)を見るようなことにならないことを祈るばかり。
そして、地震も台風もまんべんなく全土に襲ってくる国土で、災害予防策がきちんと講じられることを切に願う。
posted by M at 22:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | news
Tue,02 August 2005

週末の事件2件−こんなことをしている場合ではないのに。

29日(金)の夜、リバプールの東部にあるHuytonで、18歳の黒人青年が白人のガールフレンドといたところ、人種差別的な発言をされ、斧で殺される、という事件が発生。英国では、黒人差別が原因で起きた殺人事件は、数年前のロンドン郊外の事件で苦い思い出がある。更にこの事件が注目を集めているのは、警察が現在2名を指名手配しており、このうちの1人がMan City Utdの現役の選手の兄弟だということ。

移民に寛容、と言われる英国だけど、実際には人種的、あるいは宗教的差別は街の中にも組織の中にもある。地域によってはかなり激しいところもある。

もうひとつは、なんと我が下宿の近くで起きた事件。
昨日、家が近い友人とお昼過ぎにお茶をしていたら、友人が
友「ところで、No.XX(二人の家の近くを通るバス)の事件知ってる?」
M「知らない。何かあったの?」
友「金曜の夜、バスのtop deck(英国の2階建てバスの2階をこう言います。1階はbottom deck)で、男の人が殺されたのよ。」
M「えーっ!!」
彼女が持っていたMetro(地下鉄の駅に置かれているfree paper)で記事を読むと、チップス(日本でいうフライドポテト)を投げられたことに腹を立てた男性が文句を言ったら、相手の男性に彼女の目の前で刺し殺されたとのこと。「事件はH通りで発生。犯人はバスを降りて、通りの反対のガソリンスタンド方向へ逃げていった」。H通りでガソリンスタンドがあるって、ウチの近くじゃん。あ、もしかして、朝帰りした土曜の朝、警官が通りの反対側の道を閉鎖していたけど、あれは...。
それに、家を出た時、表通りとの交差点にcable TVの車がいて、なにやらレポートしていたよ...。

家に帰る途中よく見ると、このレポーター、Sky News(英国の24時間News Channel。英国のCNNのような局)だよ。わぁぁ、ここだよ!事件起こったのは!
いつも私が使っているバス停(徒歩2分)から逃げたんだ。

金曜の夜は、実は友人カップル宅でのホーム・パーティの後そのままお泊り。一度帰りかけたんだけど、飲みすぎたのと、前日3時間しか寝てなかったのとで、帰り着く自信がなくて戻って一夜の宿を乞うた次第。あのまま帰ってたら、No.XXを利用することは確実だったので、混乱の中帰る羽目になっていたかも。あらためて友人カップルに感謝。

昨夜大家さんと会った時、「XXバスの事件知ってる?」と尋ねると、真顔で「知らない。何かあったの?」
で、一通り説明。大家さんビックリ。
それにしても、事件発生が金曜夜21時45分頃。私が友人から教えられて知ったのが月曜の昼。大家さんに至っては月曜の19時。灯台下暗しというか、何というか。

[参考]
・Liverpool郊外、Huytonで黒人青年が斧で殺害された事件はこちら
・ウチの近くで起きた事件はこちら

それにしても、テロでまだ国が揺れているっていうのにこんな犯罪が起こっていることが怖い。今こそ静かに、落着いていなければいけないときなのに。
人々の心が動揺しているってことなのか。
posted by M at 18:33 | Comment(0) | TrackBack(1) | news
Sun,31 July 2005

チャールズとダイアナ、そして地雷撲滅

24年前の29日はチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式だったのね。当時わくわくしながらTV中継を見ていたことを思い出す。ダイアナの長いウエディングベールが赤いじゅうたんの上にずっとのびてた光景、「貴女はこの男性を夫とし...誓いますか」という誓いの言葉に、ダイアナが小さい声で'I will'と答えた声が印象的だったこと、バルコニーに出てキスした時、やたらダイアナの首が伸びてたこと。まさかその十数年後、自分がダイアナの葬式をロンドンで見ることになるとは想像もしていなかった。この二人、結婚生活が続いていたら、来年銀婚式だったのね。
今ではチャールズ皇太子は長年の最愛の人だったカミラと結婚できて幸せな日々のよう。カミラを悪く言う人はいまだ多いけど、いいではないですか、当人同士も家族も幸せそうなんだから。

ダイアナの死に関してはいまだに陰謀説がいっぱい。一説には36,000件もあるとか。一番最初に陰謀説が現れたのは、8月31日の死亡から数時間たったばかりのオーストラリアのインターネット上だったらしい。陰謀説も、MI6が英国王室を守るために実行した、というものから、世界中の花屋が花を大量に売るために行った、というものまで様々。一番人気のあるものは、ダイアナは実は亡くなっておらず、自動車事故はダイアナと恋人のドディ・アル-ファイドが自分たちの死を偽装するため綿密に練った計画で、ダイアナとドディの二人は二人だけで静かに余生を送っている、というもの。

陰謀説はともかくとして、ダイアナの功績の一つは、地雷撲滅のための活動(そういえばこの話がらみでも陰謀説があったな。地雷製造会社がダイアナの活動を面白く思っておらず暗殺したって話)。7年前の今日31日、ダイアナの一周忌を前に、英国政府は地雷の使用を全面禁止することを発表している。

[参考]いずれもBBC News site On this dayより
1981:Charles and Diana marry
1998:UK imposes total ban on landmines


個人的には39年前の昨日、英国でのサッカーのW杯でイングランドが優勝したことの方がずっと惹かれたんだけど、このネタは来年にとっておこうっと。丁度W杯だし、ドイツだし。
posted by M at 23:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | news
Fri,29 July 2005

一つのテロの終わり?

28日(木)、アイルランドのカトリック系武装組織IRA(Irish Republican Army:アイルランド共和軍)が、武装闘争の集結を宣言。この宣言は28日(木)16:00(GMT+1、なぜか日本時間の29日0:00JST)から効力持つをとしている(全然関係ないけど、日本の損保の契約って16時で満了するんですよね)。今後IRAは武器を放棄し、政治闘争に専念していくと言っている。

英国でテロといえばIRA。7日にテロが起こった際も、IRAを連想した人が少なからずいたほど。

今回の発表、英国ではとても慎重に、疑心暗鬼の目で、でもやや期待を持って受け止められている。これはいわゆる和平プロセスが始まってから、何度も合意を結んだり、武器の放棄を宣言しては、IRAが破ってきたため。
それでも今回期待が持たれているのは、ここ数年IRAがかなり追い詰められていたから。特に今年に入って北アイルランドのベルファストでRobert McCartneyという男性がIRAのメンバーを含む数人に殺され、Robertの姉妹とフィアンセ(McCartney Sisters)がホワイトハウスまで行って事件の重大さと犯人逮捕を訴えるなどしていたのは相当大きな世論となっていた。

一つのテロが終わる?

29日(金)の英国の新聞各紙は、この武装闘争終結宣言を一面で扱っているけど、一番上手く表しているのはThe Sunのこの紙面だと思う。
posted by M at 12:03 | Comment(0) | TrackBack(1) | news
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